杉江松恋の新鋭作家ハンティング 現役プロレスラー・TAJIRIの初小説『少年とリング屋』を読む
作者のTAJIRIはすでに30年近いキャリアのあるレスラーだ。デビューしたのはIWAジャパンというインディー団体だが、渡米しWWEと契約して大きく才能を開花させた。WWEは言うまでもなく世界最大のプロレス団体である。全米をサーキットし、時には世界各国へのツアーも行うという多忙な日々の中で、TAJIRIは人の心を惹きつけ、他人に夢を託される容器としての自分はいかにあるべきかということに気づいた。すでにエッセイ、紀行記などの著書が多数あり、中でも2019年の『プロレスラーは観客に何を見せているのか』(草思社)は名著である。プロレスラーが観客の心を支配するシステムは「サイコロジー」と呼ばれるが、その仕組みを明かしたものだ。舞台上の所作論としてジャンルを超えて読まれる意味がある。
そうした筆力が今回は小説の形で発揮された。ここで描かれているのはプロレスという夢の容器がどのようなものであるかということだ。プロレスを競技、格闘技としてのみ描いた作品とはその点で一線を画している。本作にも闘う場面は出てくるが、それが主ではない。闘いを見る者の眼差しを描くことが作者の目的だからである。視点人物の目に映ったものは何だったのか、という意味づけが各話の最後で書かれる。そうした答え合わせが蛇足と感じられる話もあるが、好みの問題だろう。夢とは何か、どういう形をしているのか、ということが腑に落ちてすっきりする読者もいるはずである。そうした意味では理に適わない部分はない作品と言える。
TAJIRIが文章家であることは以前より承知していたので、よく書けていると言うのは却って失礼になる。小説もおもしろかった、と書くに留めたい。知りたいのはこれ以降も小説を書く気があるのか否かということだ。書くのであればプロレス以外の題材も扱う意思はあるかということも。違った形の物語も読んでみたいと思う。ぜひ。