うんこを漏らしたとき、作家たちはどう対処した? 便意と向き合う『うんこ文学』
糞土師の伊沢正名は実践談「野糞の醍醐味」(『くう・ねる・のぐそ 自然に「愛」のお返しを』より)で、〈野糞は刻々と移り変わる雄大な自然との触れ合い〉だと語る。快適に野糞をするための場所探しや夏場の虫対策など解説しながら、〈無機質なトイレという空間では決して味わうことのできない、生きものとしての本当のいとなみが、そこにはあるのだ〉と、野糞がそもそも汚いと嫌悪するような行為ではないことを読者に啓蒙していく。
文豪・谷崎潤一郎は、うんこを空想の種にする。短編「過酸化マンガン水の夢」に出てくる作者を想起させる老人は、レッドビーツ(サラダ用火焔菜)を食べてから出た糞を見て、〈実に美しい紅色の線が排泄物からにじみ出て、周辺の水を淡い過酸化マンガン水のように染める〉と色彩に酔い、〈時としてその糞便のかたまりが他の物体の形状を思い起させ、人間の顔に見えたりもする。今夜はそれが、あのシモーン・シニョレの悪魔的な風貌に〉と、ミステリー映画の世界に浸る。大作家の視界には便器の中がこんな風に映っているのかと、想像力の豊かさに驚嘆させられる。
彼らのような独自の思考回路を持つことができれば、今後漏らすことがあっても悲観的になったり自分を卑下したりせずに、どこかに救いを見つけられるはずだ。