「うんこには、すべてをぶち壊しにするパワーがある」『うん古典』筆者が語る、日本人のうんこ観

『うん古典』著者が語る、日本人のうんこ観

 「うんこには、すべてをぶち壊しにするパワーがある」。そう語るのは、古典エッセイストの大塚ひかりさんだ。最新刊『うん古典:うんこで読み解く日本の歴史』(新潮社)では、古典文学で描かれるうんこに着目した。

 『うん古典』によれば日本最古の文学である『古事記』にはすでにうんこにまつわるエピソードが描かれている。ほぼ同時期に編纂された『常陸国風土記』には、神々が重い土を運ぶのと、うんこを我慢するのとで競争する場面があるという。

 日本人は古典のなかで、うんこをどのように捉えてきたのか。また、その「うんこ観」はどう変化してきたのだろうか。『うん古典』なる快作を世に送り出した経緯とあわせて話を聞いた。(土井大輔)

好きな人のうんこを見る……古典で描かれた衝撃のうんこ話

ーーそもそも、なぜ古典のなかのうんこに着目したのですか?

大塚ひかり ©新潮社写真部

大塚:私はずっと古典オタクなんですが、中学生のとき初めて原文で読んだ古典が『宇治拾遺物語』でした。そこで衝撃のうんこ話と出合ったんです。それは好きな人への想いを断ち切るために、その人のうんこを盗んで見るという話でした。

 当時、貴族は「おまる」みたいなものに用を足して、それを召使いの女性が捨てに行っていたんですね。そうした点も含めて衝撃をうけて、それ以来ずっと古典のなかのうんこには興味があり、いつかうんこ本を出したいなと思っていました。

ーー『古事記』から数えると千数百年におよぶ古典文学の歴史のなかで、「うんこ観」にはどのような変化が見られるのでしょうか。

大塚:基本的に、穢い(きたない)という感覚はあるわけです。同時に、すごくパワーを感じているふしがあります。これは本にも書きましたけれど、うんこから神が生まれたという話があったり、当時は祭祀施設とトイレのかたちが似ていたり。神武天皇の皇后の母親はうんこをしようとした時、神に見初められたという説話もありますね。古代はうんこに大きなパワーを感じていたんだと思います。

 それが仏教思想の伝来によって、穢れ(けがれ)の意識が強くなってうんこが罪悪視されてくる。一方で、鎌倉時代ぐらいから江戸時代にかけてリサイクルというか、うんこを肥(こえ=肥料)として積極的に使っていこうという意識が高まっていきます。

 あとは近現代になって水洗トイレの普及でうんこへの穢れの意識が少なくなり、ある意味、うんこがファンタジーになってきたところがあるように思います。

ーー古典文学のなかで、うんこの神秘的な部分が薄れていったのはなぜだと考えられますか?

大塚:コントロールできるようになったというか、うんこを自分たちの支配下に置けるようになったんですね。うんこってやっぱり圧倒的な存在じゃないですか。匂いとか、すべてをぶち壊しにするパワーがある。だから昔の人は魔除けとして、子供の名前に「糞(屎)」なんて字をつけたぐらいだけれど、だんだんとコントロールできるようになっていった。トイレとか下水をうまく処理できるようになって、神秘的な部分がなくなっていったというのがあると思います。古代には、うんこは制御できないマジカルなものという意識があったのが、肥として「利用する」という意識が出てきたときに、神秘性が薄らいでいった感じがありますね。

ーー『うん古典』を読んで、「こんなにうんこの話があるのか」と驚きました。古典といえば、ロマンチックな話が多いと思っていたので。

大塚:それはあまりにも教科書に寄った考え方ですね。教科書の作品のチョイスが良くないんです。『宇治拾遺物語』とか『今昔物語集』でも教科書では無難な話が載っていて、メインストリームの部分を避けているようにも思います。実際は、性やうんこにまつわる話がいっぱいあって。『万葉集』にもうんこの歌があるぐらいですし、『源氏物語』だって上品な話ばかりではないですからね。嫉妬して、汚物を撒き散らす話なんかもあります。

 古典は、ネットもテレビもない時代の最高のエンタメでした。今のマンガやYouTubeみたいなもので、やはり「人に受けるものを」という精神があるんですね。

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