枡野浩一、穂村弘、くどうれいんが語るブックデザインの魅力 「SPBS」15周年記念イベントレポ

「SPBS」15周年記念イベント

 書店運営と出版物の制作を行うだけでなく、本を基点に多様な取り組みを展開し文化の育成に貢献してきた「SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS」。2023年1月26日、そんなSPBSが“奥渋谷”に本店を開業して15周年を迎えた。これを記念して「みんなで、本の話をしよう。」というテーマのもと、約1カ月にわたる本の祭典「SPBS BOOKTALK FESTIVAL」が開催され、本を愛するゲストたちによるさまざまなトークイベントが行われた。

 中でもチケットの販売直後に会場の定員が埋まるほど注目を集めたのが、歌人の枡野浩一、穂村弘、くどうれいんによる「ブックデザイン自慢合戦」だ。それぞれが自慢したい本を数冊ずつ持ち寄り、著者ならではの視点からブックデザインの素晴らしさを解説。デザイナーや編集者との制作過程も垣間見られる内容に。短歌の世界に留まらず小説やエッセイなど表現を生業とする3人が、ものとしての本の魅力について語り合ったスペシャルセッションの模様をお届けしたい。

短歌本のフォーマットをつくった人として覚えておくべき

枡野浩一、河井克夫『金紙&銀紙の 似ているだけじゃダメかしら?』(リトルモア)

枡野:今日は自分の本と人の本、一冊ずつ持ってきました。私が自慢したいのは『金紙&銀紙の 似ているだけじゃダメかしら?』(リトルモア)という本です。私にはタレントだった時期があって、漫画家の河井克夫さんと双子のようにそっくりだったんですよ。表紙の金色の方が私の顔で、銀色の方が河井さんの顔なんですけど、同じ人みたいでしょ? 中にも写真がたくさんあって、二人が似ているということが異常なデザインで表現されたタレント本ですね。

 この本の自慢どころは、まず表紙にタレント猫の「はっちゃん」がいるんですけど、その人気にあやかって売れようと私たちの顔写真を組み合わせた、涙ぐましい努力を感じさせる装丁ですね。対談もいっぱい載っていて、すごいのはテキストの文字サイズがページによって大きめのところもあれば、あまり読んでほしくないところは小さくしていること。他にも鉛筆で落書きみたいに注釈を入れた感じをデザイナーに再現してもらったり。よくこんな本を出してくれたなあって思います。

くどう:私、この猫ちゃん記憶にあります。一冊の雑誌くらいの情報量で細かいですね。手に取ってみると帯もすごく手なじみがいいです。

枡野:そうなんですよ。私の短歌を河井さんが漫画にしてくれたものが挟み込んであるし、サブカルチャーの話も充実していて。デザイナーは篠田直樹さんという私が広告会社にいた時の同僚だった人で、私の本の8割をデザインしてくれています。変なアイデアを出しても再現してくれるんです。

山階基『風にあたる』(短歌研究社)

 もう一つ自慢したいのは、山階基さんという歌人の第一歌集『風にあたる』(短歌研究社)で、私が初めて推薦文を書いた短歌本なんです。この本はすごく工夫されていて、実は山階さんが自分でデザインしているんですよ。ポイントはジャケットカバーがないのに帯がちゃんと付いていること。帯に短歌が縦書き1行で載っていたり、(初版本では)表紙のイラストが帯の下から透けて見えているかのような印刷がされていたり、よく考えられています。巻末にはイラストの全体像がカラーで印刷されていて、絵を見せたいという思いが伝わってくる。

 著者自装ってたまにあるんですが、有名なデザイナーの菊地信義さんも新聞でこの本を取り上げていて、菊地さんに褒められたことのある歌人って山階さんくらいじゃないかな。短歌研究社からは今、ペーパーバックっぽいジャケットカバーなしのシリーズがたくさん出ていて、その第一弾となった記念すべき一冊。このデザインのフォーマットをつくった人として覚えておくべきだと思うくらい、良いデザインだと思いますね。

くどう:私もまず、帯で縦一行の短歌が見れるのいいなと思いました。普通のサイズ感の帯だと、どうしても改行したり横書きにしたりせざるを得ないので。あとは、やっぱりこの表紙の絵の良さ。パワーがすごくあるし、山階さんの短歌の雰囲気ともよく合っているなあと思います。

穂村:本に限らず何かをプラスすることで価値を生むという発想は普通だと思うんだけど、カバーや帯など、本来これでワンセットって皆が漠然と思っているものの要素を減らすことで輝きをつくり出していて、はっとしました。こういうの、アリなんだっていう。特に日本では、そういう概念を崩すことは嫌がられる傾向があるからすごいよね。

枡野:タイトルもすごく小さいんですよ。普通だったら絶対に通らないけど、タイトルなんて小さくても「あれ、タイトル何だろう?」って見るし、だから案外版元が放っておいてくれたというのも良かったかもしれなくて。自分でちゃんとできる人が著者である場合は、自由にさせてくれると良いものができるっていう一つの好例というか。

この世のものでない感じがするからスケルトンが好き

穂村弘『シンジケート』(講談社)

穂村:自分の本は『シンジケート』(講談社)という歌集を持ってきました。装丁者は名久井直子さんです。これは実は新装版で、装画はヒグチユウコさん。最初は1990年に自費出版で出したんですけど、誰にも読まれないだろうし、そもそも書店に置かれないだろうと、出す前から絶望していました。

 この時の唯一の希望は、帯に大好きな漫画家の大島弓子さんから言葉をもらえたことでした。そして、なんとかきれいな本にしたかったんだけど、当時はどうしたらそうなるのか分からなかった。だからチョコレートとか外国の包み紙とか、きれいだと思う紙をデザイナーさんの前に山積みにして、こんな感じにしてくれと(笑)。でもすごく真剣に聞いてくれて、きれいなものができた。

 30年後に新装版をつくる時、名久井さんにその話をしたんだけども、そうしたら本の中に間違って挟まった体で、僕がデザイナーさんの前に積み上げた可愛いチョコや飴の包み紙を、ヒグチさんがわざわざ再現してくれたんです。「穂村さんがそんなにきれいな本にしたいと願ったのなら」と、それを引用というのか、再現しようという名久井さんの優しさで、異次元の時間が本の中に混入しています。

 僕の憧れる本は、本ではないような本。だからブックデザイナー以外のグラフィックデザイナーに頼んでいることも多いです。くどうさんの最初の歌集をデザインされた菊地敦己さんもグラフィックデザイナーで、お願いしたことがあります。そうすると、なんだか本じゃない気配になる。名久井さんは天才ブックデザイナーだけど、僕の趣向を知っていてくれているので。

 それから僕はスケルトンが好きで、スケルトンだと何でも良く感じる。それはこの世のものでない感じがするから。シンジケートの装丁もスケルトンで、カバーを重ねると透明だから下から星のイラストが見えたり。野中ユリ装丁の『充ち足りた死者たち』(薔薇十字社)もスケルトン。カバーを被せることで一体化して、はじめて浮かび上がってくるかっこよさがある。野中ユリは、僕ら世代にとって憧れのアーティストですね。

 シンジケートの話に戻ると、スケルトンなので背のところのブルーの糸が見える。さっき『風にあたる』で要素を減らすという話があったけど、これも本来あるはずの背がないから本を綴じた糸が見えていて、カバーをかけても透けて見える。いいでしょ?

枡野:シンジケートは、ハードカバーだった時もソフトカバーだった時もある。あとビニールカバーがかかってない時もありましたよね。何冊も持っていてよく友達に見せていました。このあとがきが面白いよねって言って。

穂村:ありがとうございます。枡野さんだけですよ、そんなに持っているのは。

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