ヱヴァが生まれたきっかけにも?「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」はロボットアニメへの「逆襲」だった?


パーソナルカラー&カッコいい単語「赤い彗星」!

 「機動戦士ガンダム」シリーズにおけるシャア・アズナブルほど、名敵役としてのビッグネームは日本のアニメーション作品にはいないだろう。

 異名は「赤い彗星」。シャアのパーソナルカラーとカッコいい単語の組み合わせだ。1980年からはじまる第一次ガンプラブーム時代の子どもたちは、もうそれだけでシビれた。あまりのブームで模型店にガンダムのプラモなんか売ってなかったが(今みたいにクソ転売屋が横行したというより、純粋にみんな買ってつくりまくった)、ギリギリ買えた「シャア専用ムサイ」とか、買えなかった「シャア専用ザク」とか、「専用」という響きに「おわぁ、シャアは特別なんじゃあ」と酔ったのだ。

 ただ、オッサンになって気づくのだが、パーソナルカラー&カッコいい単語の組み合わせなんか、昔からごまんとあった。『水滸伝』の「黒旋風 李逵(こくせんぷう りき)」なんか、「赤い彗星 シャア・アズナブル」と全く同じ構造だ。でも、当時のガキはそんなことは知らなかった。だから、人生初のカッコいい響き、「赤い彗星」にドキドキしたのだ。

ロボットアニメのフォーマット

 ただ、このシャア・アズナブル、元々はここまで存在が大きくなるキャラクターではなかった気がする。そもそもの企画段階では、当時のロボットアニメのフォーマット通りのキャラだったのだと思う。

 ガンダム放映前、ロボットアニメで人気を博したのは「勇者ライディーン」「超電磁ロボ・コンバトラーV」「超電磁マシーン・ボルテスV」などのラインナップだった。

 わかりやすいので、まずは主人公サイドのフォーマットから考えてみよう。

 ライディーンの場合、ロボに乗るのは主人公ひとりだが、周囲にはサポートメカの搭乗員など、複数の仲間がいた。コンバトラーV、ボルテスVは合体ロボットなので、主人公以外もロボットに乗り込む。で、そのメンバーにはある種の類型がある。

 主人公は中背の熱血で、次にニヒルでクールな味方ライバルポジションがいて、デカいヤツがいて、ヒロインがいて、ちょっと小柄な男子キャラもいる。これが通例だ。

 で、ガンダムに当てはめると、これがピッタリはまる。主人公アムロ・レイは熱血とは言えないが、変に熱いところはある。余談だが、当時のマンガ版ガンダム(画:岡崎優)のアムロは「変」以上に「熱い」ので、その名残だろう。で、アニメにおいては、ニヒルでクールがカイ・シデンかブライト・ノア、デカいのがリュウ・ホセイ、ヒロインがセイラ・マスかフラウ・ボウ、小柄なのがハヤト・コバヤシという構図だ。うーん、ガンダムって多重合体の可能性さえあったのかもしれん。

美形の敵側ライバルキャラクター

 そして、本命である主人公の敵側サイドを考えてみる。だいたい、侵略者の悪者ボスがいて、おおむねいかついので、ガンダムではデギン・ザビだな。そして、このボスに使われるポジションに必ずいる存在がある。美形の敵側ライバルキャラクターだ。ライディーンではプリンス・シャーキン、コンバトラーVでは大将軍ガルーダ、ボルテスVならプリンス・ハイネルという名前になる。

 この3名、とにかく、見た目がカッコいい。でも、初手から主人公らとぶつかる。主人公が負けるわけにはいかないので、彼らが負け続ける。すると、「こんなに負けたら、普通は左遷やろ!」とシナリオが進み、悲壮な決意で主人公に挑む、という展開になりがちだった。でも、そこに通りすがりの敵ではない物語性が生まれた。そもそも、3者すべてを演じた市川治の声がカッコいいので、勧善懲悪の悪役なのに変な人気になった。

 女性人気もあっただろうが、子どもでさえ「ガルーダ、死ぬな! 改心してコンVの味方になれい!」などと思った。

 そして、ガンダムを考える。この美形の敵側ライバルキャラクターは、ガルマ・ザビでもマ・クベでもない。シャア以外にありえない。

 だいたい、この類型の祖でもあるプリンス・シャーキンは、富野由悠季(当時は喜幸)監督の発案だという。ついでに、マスクをしていて、プリンスだ。シャアと同じだ。いや、“シャー”キンなんだから、そもそも原型という説もある。

 ただ、シャーキンもガルーダも負けまくって壮絶に退場するし、ハイネルに至っては、すでに裏主人公のような格さえ得て消える。勧善懲悪の物語なら、そうなるしかない。

 でも、企画段階は違ったにしても、ガンダムは物語が進むにつれて、ロボットアニメのフォーマットを離れ、いわゆる「リアルロボットアニメ」という路線を作り上げていく。シャアは序盤負けまくったが、シャーキンやガルーダのように死なずに一時退場で済む。生きているのだから再登場し、「ニュータイプ」というSF的味付けを用い、新女性キャラのララァ・スンを主人公アムロとの間に置いて両者の因縁を濃くする。結局、シャアはハイネルみたいに壮絶に散らずに、生きてんだか、死んでんだかわからない形で終わった。

 現在から考えれば、これがスタッフの大英断だったのだと思う。

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