ヱヴァが生まれたきっかけにも?「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」はロボットアニメへの「逆襲」だった?

続編のシャア

 ガンダムという作品は映画化を機に大ヒットし、ビッグコンテンツとなった。数年後には続編が発表される。「機動戦士Zガンダム」だ。

 しかも、いきなり企画案の段階で出てきたフレーズは「逆襲のシャア」だった。ちょっと前までガキだった連中が、「赤い彗星」に再び会えると小躍りする。

 すでにロボットアニメのフォーマットも変わっていた。フォーマットがあるとすれば、それは初代のガンダムであり、Zガンダムはその続編なのだから、縛られているようでありながら、自由でもあった。

 シャアもシャーキンらの影響から解放され、副主人公格で活躍する。女癖の中途半端さを披露し、若者に殴られて泣き、変な男にさげすまれ、立派に演説したりした。

 シャアというキャラクターは複雑に肉付けされ、特異な存在になる。

 ただ、「Zガンダム」という作品は、見る人によって評価も違った。アニメ過渡期の体制の中、挑戦と保守が混ざった作品になったと感じる。富野監督もいろんなことの間で揺らされ、大変だったのだろうなと思う。

 しかし、この作品には前作を見た人にとって、鳥肌どころじゃない一場面がある。

「何をする気だ、アムロ!」

「下がってろ、シャア!」

 とうとう、前作主人公と敵役が再会するシーンだ。演じる古谷徹と池田秀一の声が久々に交錯する。アムロはロボにも乗ってない。でも、すばらしい演出。何もかもこれでいい。

 ガンダムシリーズにおける、主人公と敵役の宿命のようなものが、ちゃんとそこには描かれたのだ。

ケリをつけるためだけの物語「逆襲のシャア」

 ガンダムシリーズはさらに続き、翌年には「機動戦士ガンダムZZ」が放映される。だが、この作品にはシャアもアムロも登場しない。物語は新世代の若者たちを描いた。

 でも、ファンは思う。

 「シャアとアムロ、あのふたり、ケリついてないよね」

 同じことは富野監督が一番思っていたようで、映画「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」の制作が発表された。

 こうして、日本アニメ史で類を見ないほどの長い因縁を持つ主人公と敵役に、ケリをつけるだけの物語がつくられる。

 映画本編は、シャーキンやガルーダ、ハイネル以上の異様な悲壮感で押し込んでくる。BGM「MAIN TITLE」のメインタイトルからして、どうしょうもなく悲壮だ。

 何がなんでもガンダムにケリをつけようという富野監督の思いが、シャアとアムロに乗り移ったかのように話は展開する。互いの「こうせにゃならんのだ!」という感じがぶつかる。最後は、初代ガンダム劇場版3のサブタイトル「めぐりあい宇宙(そら)」をもじって「なぐりあい宇宙」と形容される描写で、観客をぶん殴るように過ぎ去っていった。

 初代ガンダムの次の作品である「伝説巨神イデオン」でも、視聴者をフルスイングで殴った富野監督だったが、この作品はエンターテインメントとして完成しながら、やっぱり殴ってきたと思う。でも、ものすごい作品。

 こうして、シャアは一定型敵役キャラクターから、アニメ史稀有のライバルキャラクターとなった。

 そして、この作品に異様に心を動かしたのが、「ヱヴァンゲリオン」の庵野秀明監督だ。当時、アニメ界に失望していたとされる庵野監督は、なぜかこの「逆襲のシャア」の関係者にインタビューし、プロなのに同人誌をつくった。そして、この経験がエヴァを生むきっかけになったとされる。

 今年、その伝説の同人誌が『機動戦士ガンダム-逆襲のシャア-友の会[復刻版]』(編:株式会社カラー・発行:アニメスタイル編集部)として復刻されるという。

 せっかくだから、ちょっとぶん殴られてみるのもいい。当時の熱を感じ、アニメ史に思いを至らす意味からも、「逆シャア」はいいコンテンツなのである。

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