今は亡き『ひばり書房』の傑作ホラー漫画『フランケンシュタインの男』。描き下ろし単行本がゆえの極めて高い完成度
ひばり書房という出版社をご存じだろうか。50 〜60年代の貸本漫画全盛期から、80年代の末(1988年)にかけて、数多くの怪奇物、ホラー物のコミックを世に送り出してきた版元だ。
同社が見出した漫画家には、たとえば、小島剛夕や古賀しんさく(新一)といった異才たちがいるが、今回採り上げる川島のりかずもまた、そんな漫画家の1人であった。川島は、1983年から1988年までの間に29冊の本を出版。そのすべてが「描き下ろし単行本」である。
最後の作品は、『中学生殺人事件』。現在、コレクターズ・アイテムとして古書価格が異様に高騰しているため、漫画ファンならそのタイトルくらいは聞いたことがあるかもしれないが、同書の刊行後、すなわち、1988年、ひばり書房は(前述のように)漫画の出版を停止した。その後も川島は、執筆活動を続けるためいろいろと模索したようだが、結局、他社への移籍などはうまくいかず、漫画界から姿を消すことになった(2018年、逝去)。
フランケンシュタインの怪物と同化した男の物語
※以下、『フランケンシュタインの男』の内容について触れている箇所がございます。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)
さて、その川島のりかずの代表作の1つである『フランケンシュタインの男』が、先ごろマガジンハウスより復刻された。編者は、川勝徳重。
自身も漫画家である川勝は、今回、巻末に力の入った解説文を寄稿しているほか、ひばり書房版の全ページを撮影したデータを自らデジタル・リマスタリングするという、細かい補正作業までおこなっている(原稿が紛失しているため、新たに単行本を作るには、原本のページを版下として使うしかないのだ)。いずれにせよ、これほど完璧な“本のプロデュース”はほかにないといえよう。
『フランケンシュタインの男』の主人公は、空木鉄雄。尊敬していた「女社長」の死後、奇怪な少女の幻覚を視(み)るようになったサラリーマンだ。ちなみに少女の顔は常に暗い影で覆われているため、それが誰なのかはわからない……。
ある時、鉄雄は、精神科医からこういわれる。「あなたはその少女を知るのが恐いんですよ。だから、その少女の顔は暗くなっているんです。その少女の顔を見なさい、さあ!」
そして甦ってくる、過去の忌まわしい記憶……。
本書に出てくる「フランケンシュタイン」(注)とは、家の内にも外にも居場所のなかった少年時代の鉄雄が、唯一“自分”を表現できた“力”の象徴であった。そう、当時、丘の上の屋敷に住んでいた美少女(君影綺理子)と親しかった鉄雄は、フランケンシュタインが好きだという彼女を喜ばせるために、怪物の仮面を被って近所の子供たちを脅かしたり、自分たちをバカにした者に「仕返し」をしたりしていたのだ。しかし、やがて少女の心は少年から離れていき、その結果、ある“惨劇”が起きてしまう……。
(注)「フランケンシュタイン」といえば、例のつぎはぎだらけの人造人間(怪物)を思い浮べる人も少なくないだろうが、正しくは、(メアリー・シェリーの小説では)その怪物を造った科学者の名前である。もちろん、川島のりかずがそのことを知らなかったはずはないので、本作ではあえて、わかりやすさを優先し(?)、「フランケンシュタイン=怪物」という風に描いたのだろう。
「描き下ろし単行本」ならではの1冊の完成度の高さ
物語の終盤、精神的に追いつめられた(あるいは、自ら封印していた恐ろしい過去を思い出した)鉄雄は、再び怪物の仮面を被ることになる。そして、虚構と現実の境い目がわからなくなってしまった彼が、最後に取った行動とは!?
本書の原本が刊行されたのは1986年のことだが、トラウマや劣等感が妄想を生み、怪物的な存在と自分を同一視して恐ろしい犯罪をおこなうというキャラクター造形は、後の(90年代の)サイコホラーブームを先取りしていたともいえるだろう(ただし、1960年の映画『サイコ』はいうまでもなく、トマス・ハリスの小説『レッド・ドラゴン』あたりも1981年には刊行されているため、本作がすべてを先取りしていた、とまではいうつもりはないが……)。
物語のラスト、独房の中で鉄雄は、綺理子と群衆がフランケンシュタインと一体化した彼を讃える様子を幻視する。これをバッドエンドとするか、ハッピーエンドとするかは、もちろん読者次第だ。
いずれにせよ、本作は貸本漫画の流れを汲む、ひばり書房の「描き下ろし単行本」というスタイルだからこそ表現できた――つまり、1冊の本としての完成度が極めて高い、時代を超えたホラーの傑作だったといえるだろう。
【参考】『「描き下ろし単行本」の終焉と、川島のりかずの諦念』川勝徳重(『フランケンシュタインの男』川島のりかず/マガジンハウス・所収)