「ガチ中華」クローズアップ現代で特集された話題のカウンターフード 注目店やおすすめ本をおさらい

話題の「ガチ中華」とは?

 定番化して生き残るものもあれば、彗星のように現れ、あっという間に散りゆくものもある。1980年代後半・バブル期のイタメシ(カジュアルなイタリア料理のこと)」ブームから、1990年~2000年代前半の創作料理ブーム、まだ記憶に新しいスパイスカレーブームに至るまで、日本の飲食トレンドは、その時代を投影しながら様々に変化し、また進化することで複雑化の一途を辿ってきた。そんな中、最近よく聞くようになったトレンドワードが「ガチ中華」だ。はて、本気の中華料理とはいかに。

「ガチ中華」って一体なんなのさ


 まず最初に「ガチ中華」の定義を説明しよう。ガチの中華と聞くと、なんとなく『華正樓』とか『聘珍樓』あたりの横浜中華街の大店をイメージする人もいることだろう。もちろん本気で作っている料理には違いないが、コレは違う。言語的に区別するならば、これらは“高級中華料理”だ。もっとニュアンスを加えて表現するなら“中国料理”である。では、誰しもが子どもの頃から親しんできた、出前もやってくれちゃうあの中華料理は? これはもう言わずもがな近所の「ラーメン屋さん(ラーメン専門店が一般的じゃなかった時代はこう呼んでいたのです)」であり、今風に言うなら「町中華」である。

 「ガチ中華」はそんな「町(マチ)中華」に対してのカウンターワードとして作られた言葉だが、要は昔から日本に根ざしてきた中華料理ではなく、中国現地の大衆に根ざした料理のことを指している。つまり「なんかここ、お客さんも含めて中国語が飛び交っているし、なんか日本じゃないみたいだね」なんて店で食べられる料理こそが「ガチ中華」だ。

実のところ「ガチ中華」の歴史は長い

 さて、「ガチ中華」が言語化されたのはここ数年のことだが、実はそれ以前から食に目ざといフーディーたちの間でそうした料理は話題となっていた。当時、彼らが目指した先は横浜ではなく池袋のチャイナタウンだ。1991年頃に『知音中国食品』という中華材料の専門スーパーがオープンしたことで中国人が集まるようになり、その後、様々な、そしてディープな飲食店が軒を連ねていったように思う(今では駅前の食材店『陽光城』が目立っているけど)。そして、池袋中華ブームの火付け役になったのは、当時まだ四川料理が今ほど一般的ではなかった時代に、日本人を置き去りにするほどディープな四川料理を提供していた『知音食堂』だろう。今ではその味が知れ渡り、そこそこ見かけるようになったが、ラー油の海に肉が浮かぶ「水煮牛肉(シュイジュウニュウロウ)」や、ありえない量の唐辛子にまみれた「辣子鶏(ラーズーチー)」などを白酒とともに楽しむ、というのが当時の新しい体験だった。

 あれから時は経ったが、いま池袋は「ガチ中華」の震源地として確固たる地位を築いている。その背景にあるのはガチ中華フードコートの隆盛だ。2019年に『友誼食府』がオープンすると、その中国っぷりから現地を知る人は懐かしさに震え、知らない人は新しすぎる体験をできるとあって一世風靡。ちなみに「ガチ中華」という言葉が市民権を得たのはこの『友誼食府』のブレイクがきっかけだったのではないだろうか。今では『食府書苑』や『沸騰小吃城』など、続々とフードコートが誕生し、池袋チャイナタウンはあっという間に人気のガチ中華スポットとしてその名声を高めている。

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