「紙魚の手帖」神原佳史 編集長が語る、ミステリ専門誌からの転換 「M、SF、Fの割合を国外の作品も含めてうまく入るように」

「紙魚の手帖」編集長インタビュー

 東京創元社は、2003年創刊の「ミステリーズ!」を2021年2月号で終刊とし、同年10月、新たに「紙魚の手帖」を創刊した。2誌はいずれも隔月刊の小説雑誌だが、ミステリ専門誌だった「ミステリーズ!」に対し、後継誌の「紙魚の手帖」はミステリ、SF、ファンタジー、ホラー、一般文芸を網羅する総合文芸誌と位置づけられている。同社はなぜ、そのような形で新雑誌を立ち上げたのか。「ミステリーズ!」に続き「紙魚の手帖」でも編集長を務める神原佳史氏(東京創元社編集部部長)に経緯を聞いた。なお、インタビューでは、同誌の編集業務の多くを担当する泉元彩希氏(同社編集部主任)にも同席していただいた。(円堂都司昭/5月31日取材・構成)

「紙魚の手帖」編集部はない

――東京創元社に入社するまでを教えてください。

神原:入社したのは2004年です。それ以前は旭屋出版という旭屋書店が母体の出版社に新卒で入って、料理の月刊誌「近代食堂」や喫茶店やカフェ向けの月刊誌「喫茶&スナック」「カフェ&レストラン」(現在は「CAFERES」に誌名変更)を作っていました。グルメ雑誌ではなくプロ向けに経営を扱った雑誌です。昨年亡くなられたミステリ評論家の松坂健さんは、ライバル誌(「月刊食堂」)を出していた柴田書店にいらっしゃいました。それこそ東京創元社と早川書房みたいな関係ですね(笑)。

――会社を移ろうとしたのはなぜですか。

神原:ミステリが好きだったんです、と東京創元社の人間がいうとすごいマニアのように聞こえるかもしれませんが、ほどほどに(笑)ミステリが好きで、特に当社の創元推理文庫の国内ものを読んでいたので、いずれかかわってみたいと思っていたんです。でも、なかなか縁がなかった。2003年末の募集で、年末進行の最中に履歴書を提出し、2004年の春に入社しました。実は僕は3回目の応募でようやくの合格でした。というのも、国内ミステリ担当の募集はあまりなくて、僕らの入社の時が久しぶりだったようです。2003年創刊でまだ季刊だった「ミステリーズ!」が隔月刊に変わるからスタッフが必要ということで、僕と古市怜子が入社したんです(「本の雑誌」2022年5月号の特集「出版業界で働こう!」で古市氏は自身の入社経緯をエッセイ「面接&筆記試験の思い出」に書いている)。ただ、「ミステリーズ!」のそうした内情は当然知らなくて、前の会社で月刊誌を作っていた自分としては、もう少しゆっくり単行本が作れたらいいなと思っていたら、また雑誌を作ることになったわけです。「ミステリーズ!」は4号までが季刊で、隔月刊になった5号から編集に参加しました。入社1ヵ月後には進行などをやっていましたね。

――編集者としては「ミステリーズ!」だけを担当するわけではないですよね。

神原:もちろん違います。今でもそうですけど、当然、編集部員一人ひとりに担当作家がいて、それぞれが原稿を持ち寄って雑誌を作る状態です。当時も今も誌面作り自体にメインでかかわるのは2、3人。だから、特に「ミステリーズ!」編集部というものもないですし、「紙魚の手帖」も編集部はありません。

――やっぱり前の会社でやっていた仕事とは違いましたか。

神原:以前いた雑誌ではライターさんに書いてもらう記事は多少ありましたけど、編集部のなかで月刊誌のほぼ8~9割の記事を書いていました。でも、「ミステリーズ!」は小説誌だから自分では書かないじゃないですか。そこは正直楽だと思っていましたし、隔月刊だから楽かと思ったら意外と早く責了日がくる。あと、自分が原稿を書かないぶん、待っていなきゃいけない。もちろん締切はありますが、いつ原稿がくるかわからないという戸惑いはありました。結局、「ミステリーズ!」に関しては、17年間で5号から105号までとプラス1をやったことになります。プラス1というのは、「ミステリーズ!extra」という増刊号があったから。

――東京創元社は過去に「創元推理」(1992年創刊。後に「創元推理21」。2003年休刊)という雑誌を出していましたが、かなりマニアックな印象で、同じミステリ専門誌といっても「ミステリーズ!」はもっと手にとりやすいものになっていたと思います。

神原:社内の人間ですら次の号がいつ出るかわからなかった「創元推理」の時代から、隔月刊で定期的に出せるようになった「ミステリーズ!」へ。この変化については社の内外でよくいわれて、確かに大変ではあったんですけど、僕らからすると定期刊行になったくらいで褒めてくれるなと(笑)。前の会社では定期的に出して当たり前の世界にいましたから。その意味でも手にとりやすくなったかもしれません。

――編集長になったのは何年ですか。

神原:2007年(23号)からです。他にやる人がいなかったから(笑)。

――東京創元社に入社以来、「ミステリーズ!」から離れたことがなかったわけですよね。

神原:誰かに任せることは、時々ありました。最初は進行や頁割などかなりの部分を1人でやっていましたけど、途中からは他の編集部員たちと号によってやりくりしていたんです。適材適所というか、泉元には進行を任せることができたので、「紙魚の手帖」へ移行した今は、編集業務を徐々に彼女のほうにシフトしていっている段階です。

――泉元さんはいつ頃から「ミステリーズ!」にたずさわっているんですか。

泉元:私は2012年に中途入社しました。その時の採用も、国内ミステリの担当かつ、「ミステリーズ!」のスタッフが欲しいということでした。私の場合、京阪神エルマガジン社の東京支社でムックを作っていたのが前職です。街歩きの本やグルメ本を作る部署で編集アルバイトとして働いていたので、雑誌の進行もできるだろうと、「ミステリーズ!」をやることになりました。

――「ミステリーズ!」時代をふり返って印象的だったできごとは。

神原:2年おきくらいにカバーのデザインを変えたんですけど、トヨクラタケルさんのイラストでウサギ団というキャラクターがいて、多くの作家さんが喜んでくれたんですよね。読者がファンになるだけでなく、作家さんからそういう反応がもらえたのは初めての経験でした。ミニ特集「ウサギ団の謎」を組んだり(2008年8月号)、北山猛邦さんがキャラクターを使ったオマージュ短編小説「さようなら、ウサギ団」(2011年10月号)を書いてくださるなど、盛り上がりました。


――その後、「くらり」が東京創元社のキャラクターになりましたが、あれは何年のことでしたっけ。

泉元:当社の創立60周年記念として誕生しました。60周年は2014年ですが、デザインや名前が決定したのはその前年なので2013年ですね。来年で誕生10周年となります。「創立60周年記念に可愛いマスコットキャラクターを作りたい」ということで、加藤木麻莉さんにデザインをお願いしました。名前は公募で決まったのですが、「創」の字を左右に分解して別の読み方にした「くら・り」が由来です。(参考:東京創元社創立60周年の記念キャラクターの名前が決定しました!

神原:創元推理文庫は、かつてジャンルの分類ごとにマークをつけていましたが(警察小説・ハードボイルドは拳銃、怪奇と冒険は帆船など)、サスペンス・スリラーの猫に『不思議の国のアリス』のウサギをプラスしたイメージだとか。(参考:キャラクター名募集中です

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