オカルト雑誌「ムー」編集長が語る、日本一あやしい記事を届け続ける理由
月刊「ムー」編集長・三上丈晴氏による初の単著『オカルト編集王 月刊「ムー」編集長のあやしい仕事術』(学研プラス)が6月2日の刊行以来、各所で話題となっている。UFO、UMA、心霊写真など、数々のあやしいテーマの記事を届け続けてきた同誌の裏側が、赤裸々に綴られている。さらには、記事の企画・編集の極意といった仕事論、ユリ・ゲラーをはじめとした重要人物の解説など、盛り沢山の内容だ。今回は三上編集長に改めて、「ムー」の成り立ちや編集方針、オカルトに向き合い続ける理由などについて話を聞いた。 (編集部)
雑誌「ムー」は教材から生まれた?
――「ムー」の始まりは高校コースという学習コースの教材だったとお聞きしたんですが。
三上:もともと学習研究社(学研)は、学習指導要領に則った、教科書の副読本を書籍にするような会社だったんです。付録付きの学年誌は、書店には卸せなくて、昔の学研のおばちゃんみたいな、直販店がありました。その上に中学コースがあって、学校のお勉強の副読本みたいな性格のものがありました。
だんだん学年が上になっていくと、お勉強以外のものも増えていきます。中学になってくると、スポーツ、ファッション、芸能というジャンルが増えていく。高校はさらに自由度が一般誌に近くなっていく。
当時、高校コース編集部に太田という編集者がいて、彼が事実上、「ムー」を創刊します。ときは1970年代の後半。いわゆる雑誌の創刊ラッシュです。学研の中でも、「いっぱい雑誌を作れ」という大号令がありました。ファッション誌や音楽雑誌など、いろいろとある中で、当時「高2コース」編集部の太田が提案したのが、「ムー」だった。
――なるほど。
三上:高校コースの夏休み号のときに、ミステリーゾーンやノストラダムスの大予言とか、まさに今日の「ムー」みたいな読み物系の記事がすごくうけた。それで、企画が通ったんです。
読者アンケートを取ると、太田が企画した雑誌が、他の雑誌を抑えてダントツ1位になるんです。これは絶対ウケるとなって創刊したのが、1979年の11月号。鳴り物入りで発売したんだけど、目論見通りにはいかず、「あれ?」っていう(笑)。当時は隔月で今より一回り大きい、A4判でした。1年経ったぐらいで、このままではいかんということで、リニューアルしました。判型を小さくして、記事構成や何やら全部を見直して。
そこから、当時はどうしても元の編集部が対象は中高生という頭があったのを、マニア向けに振り切ったんです。そうしたら100万部はいかないけど、ある程度の部数は確実に売れる雑誌に様変わりしました。
――「ムー」のコンテンツはどのようなものを届けたいと考えているんでしょうか。
三上:ネタは変わらないです。ネタは尽きていて、もうない(笑)。創刊1年ぐらいのやつを開くと、同じことをやってるじゃん! って。ロズウェル、フリーメーソン、日本の未来のこととか、何回やってんだよ!って(笑)。100回くらいやってるんじゃないかな。
それを筆者が変わったり、企画を変化させたり、手を変え品を変え、少しでも味付けをして新しいことをやっています。読者からすると、「またこのネタ?読んだよ! 知ってるよ!」と思うかもしれない(笑)。でも、マニアは、10のうち、8や9は知っていても、1つ知らないことがあると、それを押さえたくなるんです。それで支えられています。