食べ物さえもハラスメントに? 芥川賞『おいしいごはんが食べられますように』の切実さ

芥川賞受賞作が描く、食の難しさ

 残業続きの日々に送られてくる〈お味噌汁とか、なるべくちゃんとした、体にいいものを食べてくださいね!〉というLINEのメッセージを見ても、〈ちゃんとしたごはんを食べるのは自分を大切にすることだって、カップ麺や出来合いの惣菜しか食べないのは自分を虐待するようなことだって言われても、働いて、残業して、二十二時の閉店間際にスーパーに寄って、それから飯を作って食べることが、ほんとうに自分を大切にするってことか〉と、心の中で食ってかかる。

 それだけでなく食べていちいち「おいしい」という感情を抱き、反応して見せなければならないのも面倒だった。ところが、芦川さんがお菓子を職場に差し入れると、今度はみんなに合わせて喜んでいる振りをしなければならない。それが苦痛で〈生クリームが口の中いっぱいに広がる。歯の裏まで、奥歯の上の歯茎に閉じられた空間にまで入り込んでくる〉〈噛みしめる度に、にちゃあ、と下品な音が鳴る。舌に塗られた生クリーム、その上に果物の汁。スポンジがざわざわ、口の中であっちこっちに触れる〉と、口に入れても嫌な感触しか残らない。

 やがて二谷の食べ物をめぐる屈託と、芦川さんのお菓子攻勢にうんざりする押尾さんのかつて提案した〈いじわるしませんか〉が結びつき、社内ではある事件が持ち上がる。

 飯の種が、好きに食事をする自由やそれを楽しむ感覚を奪っている。現実社会でも各所でありそうな矛盾した構図と、原因となる長時間労働やハラスメントの問題、組織での同調圧力や理解し合えない人間関係が、時にコミカルに時に不気味な形で浮かび上がる。読んでいる内に『おいしいごはんが食べられますように』というタイトルが、登場人物に限らず、今現在余裕のない生活を送る人々にとっての切なる願いに見えてくる。

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