『鎌倉殿の13人』八重の謎や今後の展開も…最新の歴史書読み比べ 研究者の相違が拡げてくれる中世への新たな視点

『鎌倉殿の13人』副読本レビュー

 義時個人というより、承久の乱で朝廷に勝利するまでの鎌倉幕府の流れそのものをメインに扱ったのが、坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏 義時はいかに朝廷を乗り越えたか』(NHK出版新書)である。坂井の名前は、『鎌倉殿の13人』の時代考証としてスタッフ欄にクレジットされているので、このドラマの視聴者にもお馴染みだろう。ここ数年で『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』(中公新書)、『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』(PHP新書)といった著書を立て続けに上梓しているが、最新刊の『鎌倉殿と執権北条氏』では、北条氏と伊東氏、そして頼朝の関係を前半でじっくり書き込んでいるのが類書にない特色。そこで坂井は、甥の工藤祐経から領地を理不尽に奪い、孫の千鶴丸を殺害させた冷酷な人物という伊東祐親(義時の母方の祖父)のイメージに異を唱える。

 またこの本では、「八重」という名で知られている祐親の娘(頼朝の最初の妻)と、北条泰時の母親だが御所勤めの女房だったことしか判明していない「阿波局」(義時の同名の妹とは別人)が同一人物であると唱えている。この仮説はかなり大胆で、論証が難しい推測も含まれているので異論もありそうだけれども、『鎌倉殿の13人』における八重の設定が、どのような考証から生まれたかがはっきりわかるようになっている。

 これらの本の著者たちのスタンスは、多くの部分では共通している。例えば三代将軍・実朝の暗殺事件については、三人とも黒幕の存在を否定し、親王将軍が京都から迎えられることを知った甥の公暁(従来は「くぎょう」と発音されてきたが、最近の研究では「こうきょう」または「こうぎょう」が正しいとされる)の暴発と捉える点で一致している。また、後鳥羽上皇が最初から倒幕を目論んでいたのではなく、実朝暗殺を機に、彼を護れなかった義時への不信感を募らせた結果が承久の乱であるという見方も共通している。頼朝死後の「十三人の合議制」を、頼家の権力を制限するものではなく、頼家への訴訟取次役が十三人の宿老に限定されたと見なす立場も同様だ。しかし、見解が割れている部分も散見される。

 例えば坂井孝一は、従来は文弱の傀儡将軍と見なされてきた実朝が、実際には積極的に政務に関わった点を高く評価する。これに対して山本みなみは、疱瘡(天然痘)を患った実朝が一時期引きこもり状態になって政務を執れなかった点を重視し、実朝の政治的関与の積極的評価には慎重な態度である。

 また、承久の乱の際、後鳥羽上皇の宣旨の内容が倒幕ではなく北条義時追討であった点について、岩田慎平と坂井孝一は、義時や政子といった幕府首脳部が、義時個人を追討せよという宣旨を幕府追討と読み替えることで御家人たちを巻き込み結束させたと解釈する。これに対し山本みなみは、上皇方の軍勢が攻め込めば鎌倉は壊滅的な被害を避けられず、また義時だけを殺して事がそれで済んだとも考えにくいので、義時追討と倒幕に実質的な差はないのではという意見である。

 こうした研究者間の意見の相違は、読者の視野を広げ、歴史上の出来事をどう捉えるかの参考になる。その意味で、研究書はなるべく複数読んでおくのが望ましいのである。

 最後に、『鎌倉殿の13人』に登場した人物の研究書として、千野原靖方『上総広常 房総最大の武力を築いた猛将の生涯』(戎光祥郷土史叢書)を紹介しておく。『鎌倉殿の13人』で佐藤浩市が演じて話題となった、あの上総広常が主役である。

 引用が多い上、人名が大量に紹介されるので上記の三冊ほど読みやすくはないものの、頼朝による広常誅殺事件の解釈に、奥州藤原氏という補助線を引いたのがポイントだ。先祖の源頼義・義家に倣っていずれは奥州を平定しようと考える頼朝と、自らの関東最強の軍事力を支える奥州藤原氏との交易を重視する広常の対立が、背後から鎌倉を窺う藤原秀衡への牽制としての広常誅殺につながったという見解には説得力がある。

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