千葉雅也×荘子itが語る、芸術的な人生の作り方 「異端的でありながら明るく生きる」

千葉雅也×荘子it 対談

瑣末なことを書くことこそが芸術的創造の出発点

『勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版』(文春文庫)

荘子it:『勉強の哲学』と『現代思想入門』は、ともに千葉さんの創作論としても読める本だと考えています。クリエイターとしてもすごく参考になるのはもちろん、実際にはモノを作らない方にとっても、芸術的な観点での人生の作り方とか、芸術的な考え方の養い方を知ることができるという意味で有意義です。

 今回の『現代思想入門』では、ドゥルーズのレトリックをうまく読み飛ばして、そのロジックだけを抽出する方法を伝えています。ドゥルーズは詩人のように大仰な言い方をするけれど、割とシンプルなことを心から強く言っているという印象でした。一方で、デリダのレトリックはレトリック自体に意味があって、そこを飛ばし読みすると全体を捉えられないと。これを読んで僕が思ったのは、言葉をメッセージを伝えるための道具ではなく、表現技法として極めて使っているのはデリダの方ではないか、ということです。

 ドゥルーズ的な大袈裟な形容は、文脈やロジックがわからなくてもなんとなくかっこいいから、SNSでも広がりやすい。バズる発言などは結構そういうところがあると思います。でも、デリダの言葉は本当にちゃんと読まないとわからない。そういう言葉遣いや表現こそ、クリエイターが目指すべきところではないかと。千葉さんはドゥルーズの研究者ですが、『現代思想入門』では最初と最後にデリダを持ってきていて、実は一番重視しているように感じました。

千葉:そうですね。僕は学んだ順序としてはドゥルーズよりデリダが先なんですよ。そもそもの経緯としては、知ったのはドゥルーズが先で、高校生の頃に本屋で見つけた三省堂の『コンサイス 20世紀思想事典』がきっかけでした。その後、今村仁司の『現代思想を読む事典』などを読んで色々な概念を知っていくんですけれど、中でもドゥルーズとガタリが打ち出した「リゾーム」という概念ーー物事を秩序立てて考えるのではなく、異質なものを横断的に結びつける概念ーーを知って「これだ!」と思ったんですね。でも、実際に大学に入ってから、批評的なものを書く上で参考になったのは、デリダの文章でした。デリダの文章は、おっしゃるように文章術としても優れたところがあって、なにを論じても他の人に比べて圧倒的に解像度が高いんです。フッサールを読むにせよ、ハイデガーを読むにせよ、こんなに細かいところまで読むのかと驚かされます。その意味で、デリダも姑といえるかもしれません。「まだこんなところにホコリが」と言われてしまう(笑)。

 『ライティングの哲学』でも書いたことですが、物書きを目指していても、「そもそも書くことがない」という人も多いようです。でも、そうならば、まず、意地悪いくらい細かいところを書いてみればいいんです。たとえば、なにか話を始めるときにも、前提をめちゃくちゃ細かく書いてみるとか。でも、デリダがやっていることは、認知のエクストリームスポーツみたいなものなんですね。スケボーとかと一緒で、あらゆることにエクスキューズを言いながら書くみたいなマインドに取り憑かれると、ちょっと身体を壊す可能性もあるから気をつけなければいけない。ただ、ともかく解像度を徹底的に上げて、ちまちましたことを考え続けることは言葉を溢れさせる動力にもなります。ここは逆説的なところで、ちまちましたことを書けば書くことが始まるのだけど、ちまちましたことにとらわれて書けなくもなる。解像度というのは両義的なんですよね。

 おそらく蓮實さんの世代にしても、王道的な文学研究が廃墟化したところから再出発するような時代だったと思うんです。そこで徹底的に細かいことを気にすることによって、書く理由を得たんだと思います。我々は常に、前の世代が「Shit」と見做したものを拾い集めることからしか始められないし、そこから書くための動力を得ていく。

 小説だって、なにか立派なお話を書こうと思ったら書けません。まずは日常のくだらないことーー水道で水を出して、コップに注ぐ、みたいなことから書けばいいわけです。瑣末なことを書くことこそが、むしろ芸術的創造の重要な出発点なんだと思います。

荘子it:まさにそうだと思います。ドゥルーズのかっこいい概念の提示の仕方には共感するけれど、物作りで重要なのはデリダ的な思考なのかなと。それと、健康についての考え方もデリダ的なあり方が良いと思うようになりました。蓮實重彦もデカくて超元気だし、デリダもすごく健康だったんだろうなと。

世俗的な生き方にこそ、別の人生の深さがある

荘子it:一方でもう一つ、これから数十年モノを作り続けるであろう人間として思うのは、僕は10代後半からずっとデリダ的なもの、蓮實的なものに関心があったのですが、いつまでも細々したことを題材にしていては辛い、ということです。東浩紀さんが批判的に指摘していたように、かつて終焉したとされた「大きな物語」が、2010年代からは復権しているように思います。それが手放しに歓迎されるべきことかは分かりませんが、そうしたムードが醸成される背景には自分も共感するところがあります。

 例えば、ヒップホップの手法は革新というよりすでに洗練の時期にきていて、自分にとっては微細な差異を楽しむ貴族的な趣味になっているわけですけれど、一方で、エポックメイキングで、自分が様々な音楽に触れ始めた頃に感じたような衝撃や、大きなムーヴメントにつながる創作をしたいという想いがあります。

千葉:それはわかりますよ。僕自身、ある時期から姑的解像度で文章を書くというのを辞めました。以前は「あなたにギャル男を愛していないとは言わせない」(『意味がない無意味』に収録)とか、神経症の極みみたいな文章を書いていた(笑)。でも、今回の『現代思想入門』などはどちらかというと、シンプルに大きな仕事をやったという意識があります。先輩風を吹かせるようで恥ずかしいですが、おそらくある年齢になると自然にそういう風に変わっていくのだと思います。何か大きな決意をして変化するというわけではなく、神経質なことをすることにだんだん疲れてきて、自ずと自分の中にあった太いストーリーと向き合わざるを得なくなってくる。人生の折り返しにくると、もうこれをやって死ぬしかないという心境になってくるというか。だから、解像度の高いものが作れるうちはその仕事をやって、あとは自然の流れに任せれば良いんじゃないかな。僕は2017年に冬のボストンで『現代思想』の締め切りを抱えていたときに、もうこの書き方は長く続けていけないなと思って、とにかく思いついたことをバーっと書いて、その後に整える編集をするというスタイルに変えました。

 僕はもともと、文章を書く人になるはずじゃなかったんですよね。両親がともに美術系の学校を出ていて、父親は元カメラマンでその後に広告屋になった。だから、僕のベースは美術とデザインで、幼稚園からピアノをやっていたこともあって、興味があったのはつねに芸術です。高校の時の美術の先生が面白い人で、松岡正剛の『遊』とかを見せてくれて、そこから批評の文脈に入っていった。大学に入ってからは、哲学思想に関するアカデミックな文章を書けるように訓練し、ある時期からは芸術も批評も一時停止にしました。その後、国立近代美術館で岡崎乾二郎さんが主催した批評のシンポジウムに参加したのがきっかけとなって、30歳前後にまた批評を書くようになりました。さらに最近は、またピアノや絵といった非言語的な制作も再開しています。本来自分が持っていた、子供っぽい拡散性や明るい横断性をもう一度肯定するというのが、今の僕のモードです。

荘子it:とても感動しました。ありがとうございます。『現代思想入門』の中で、30代でこれを書こうと思わなかったと書かれていましたが、そのニュアンスがすごく伝わりました。千葉さんがご自身の文章の書き方とか方法論をシェアしているのも、今のモードだからこそできることなんでしょうね。僕はまだ全然そういうフェーズにいなくて、例えばヒップホップスクールをやってくれという依頼があっても、今はやりたくない(笑)。でも、ヒップホップでいうところのエディテイメントーーエデュケーションとエンターテイメントを合体させた造語ーーの仕事も素敵だなと思いますし、いずれ自分にもそういう時期が来るのかなと思いました。

 それと、明るさを肯定するというのもすごく面白いです。千葉さんがこの本の最後の方、「世俗性の新たな深さ」の節で、どうしようもなく悩むことが深い生き方であるような人間観に対して、できる限り悩まない世俗的な生き方にこそ、喜劇的と言えるだろう別の人生の深さがあると書かれていたのを思い出しました。人生はクローズアップで撮ると悲劇だけど、引きのカメラで見ると喜劇だと言ったチャップリンや、それを脱構築してクローズアップの喜劇を撮ると言ったゴダールを連想させます。僕は、それこそが「軽さ」が持つ倫理的な意味だという風に受け取りました。

千葉:僕は加速主義とか反出生主義とか、最近のニヒリズムにはなんの興味もないですからね(笑)。建前的な正しさに対する批判的な視点は必要だと思うけれど、ああいうのは鬱々とした若者のパンク的な思想というか、イキリみたいなものかなと。最近出たニック・ランドの翻訳なんて『絶滅への渇望』だよ? 70年代のプログレみたい(笑)。そういう感じより、僕にとっては、日々の生活の中で友達と楽しく話して、おいしいものを食べたりするほうが大切です。異端的でありながら明るく生きることは可能だということも、『現代思想入門』で伝えたかったことの一つです。

■書籍情報
『現代思想入門』
千葉雅也 著
発売:3月16日
価格:990円
出版社:講談社

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