つやちゃんが語る、フィメール・ラッパーたちの功績とその可視化 「チャラいものこそが素晴らしい」
2022年1月に文筆家/ライターのつやちゃんが刊行した『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)は語りたくなる書物だ。この本は、フィメール・ラッパーと彼女たちの楽曲を紹介、その才能と音楽の素晴らしさを正当に評価し、またラップ・ミュージックという視点を通じて日本の大衆音楽を捉え直す試みだ。帯には「マッチョなヒップホップをアップデートする」とある。とはいうものの、性別やジェンダーで音楽をジャンル分けして語る不可能性や、(こうした言い方が妥当であるかはいまだに迷いはあるが)暴力性について自問自答した上で書かれている。そうした挑戦的な評論集であり、充実したディスクガイドも付いている。
つやちゃんはまえがきで自身のスタンスをこう表明する。「リリックからフィメールラッパーならではの政治性やセクシャル性について丁寧に論じるわけでも(ほとんど)ない」「フィメールラッパーたちを、まずは可視化することに励む」。とはいえ、つやちゃんは鮮やかな筆致で様々な事象を論じている。日本のフィメール・ラップの歴史をいかに描くか、音楽批評における時代性との接続の意義や“チャラさ”の積み上げとは何か。インタビューの話題は多岐におよんだ。(二木信)
“フィメール・ラッパー”たちをまず可視化したい
――すでに複数の対談やインタビューもあり、書評も出ています。さまざまな反響や感想があったと思いますが、それを受けての率直な感想を教えてください。
つやちゃん:じつはもっと叩かれるかなと思っていました。
――ええ、そうなんですか。それは意外ですね。
つやちゃん:まず“フィメール・ラッパー”というテーマ自体がデリケートですし、ディスクガイドにあれが入っていない、これが入っていない、ともっとたくさんのご批判をいただくかなと思っていました。
――むしろそのディスクガイドは、“フィメール・ラッパー/ライマーズ”という観点でこんなにいろんな音楽を紹介できるのかという驚きがあり、新鮮でした。本を読みながらプレイリストをシャッフルしていると気になる曲がたくさんあります。まだ深くは聴き込めていないですが、例えばjinkakunai(uami)「美形信仰」も面白かったですし、昨日からは當山みれい「偽愛」ばかり聴いています。
つやちゃん:おお、あれは名曲ですね。まず何より音楽として素晴らしい曲を紹介するのがディスクガイドにとっても、この本そのものにとっても重要でした。
――冒頭の「日本語ラップ史に埋もれた韻の紡ぎ手たちを蘇らせるためのマニフェスト――まえがきに代えて」で、そのあたりの立場を表明されているのが印象的でした。「リリックからフィメールラッパーならではの政治性やセクシャル性について丁寧に論じるわけでも(ほとんど)ない」「フィメールラッパーたちを、まずは可視化することに励む」「極めて淡々と、優れた音楽作品としての魅力について言及する」と。つまり、素晴らしい音楽の紹介者に徹すると宣言しています。
つやちゃん:そうですね。いまだにヒップホップはイベントもプレイリストも男性ラッパーばかりで。女性のラッパーによる優れた作品も本当はたくさんあるはずなのに、実は見落とされてきたんじゃないか。そういった、これまでの歴史に対する批判的なまなざしから出発しています。
――そのうえで、本書はフィメール・ラッパーというテーマを通じて、日本のラップ・ミュージックの多様性、音楽の豊かさや柔軟性、そして自由を伝えていると読めました。そこは一貫しています。
つやちゃん:女性のラッパー、女性のアーティストだから自由な表現が可能だった、というのはあるかもしれません。というのも、男性のラップ・アーティストはヒップホップのルールや型、ヘッズ(ヒップホップに帰属意識を持つ熱心なラップ・ファン)の視線を意識してしまう傾向がありますよね。フィメール・ラッパーにはそういうしがらみから自由なアーティストが多いのではないでしょうか。時代の変化と共に、これまで抑圧されてきた、そうした自由な感性が自然と表に出てくるようになったのが、ここ5、6年の流れなのではないかと捉えています。
――つやちゃんさんは、フィメール・ラッパーの音楽に反映された、その時代の感性を丁寧に記していきますが、それができるのは、本書で紹介している女性の表現者たちのファッションやコスメ、彼女たちの背景にある流行についての豊富な知識が前提にあるからだと感じました。
つやちゃん:いまはだいぶ変わりましたけど、昔は、たとえば(モード)ファッションにおいて時代のトレンドを作るのは圧倒的にレディースでした。流行の最先端の面白さというのはやはり女性のカルチャーにあることが多いと思うんですよ。だから、私は子供の頃からコスメやレディースファッションの流行、カルチャーが大好きで。女性発の文化こそが先進的であり、面白いという肌感覚が昔からあります。
きゃりーぱみゅぱみゅの再評価
――私がつやちゃんさんの文章を読んで最初に感銘を受けたのは、ハイブランドとストリート、ヒップホップの関係を描き、分析する「TOKION」の連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」でした。「サイゾー」のつやちゃんさんとの対談で渡辺志保さんもまさにその連載の「旅から旅へ――ANARCHY & BADSAIKUSHのMVと重ね合わせ読み解く『ルイ・ヴィトン』の本質」について言及されていましたね。自分の知る限り、国内で近年、こうしたブランドやファッション、ヴィジュアル・イメージを絡めながらヒップホップについて論じる書き手の方はいなかったと思うのです。私が編集協力で関わった雑誌の『ele-king vol.27』の日本のヒップホップ特集でも、『ヴィジュアルの変化――オートチューンとマンブルの果てに』というコラムを書いていただきました。
つやちゃん:ヴィジュアルってすごく大事だと思うんです。リリックに綴られる固有名詞やMVに映るアイテムなど、実はあらゆるものが色んな記号を背負っています。そういった背景に着目することでより音楽が文脈とつながり新鮮に聴こえてくる。自分はそういった側面も音楽の豊かさの一つだと思います。
――本書はTOKIONの連載ほどはファッションに焦点を当ててはいませんが、そうした豊富な知識に裏打ちされた確信が行間から感じられました。そんなつやちゃんさんが本書にまつわるファッションやカルチャーの重要な転換点、あるいは存在をどう捉えているか、とても興味があります。
つやちゃん:常に語られてきた存在ですが、最近、私のなかできゃりーぱみゅぱみゅの再評価の熱が高まっています。今思えば、きゃりーは最後のファッションアイコンであり、個性でした。きゃりー以降、個性すらもテンプレ化して誰しもが誰でもあり誰でもないという時代になった。そういった最後の象徴的な存在でありながらも、色々な要素をミックスするような懐の深さがあって、そういう意味で今の全てがごちゃ混ぜになった時代を予見していましたよね。きゃりーは最初原宿系の代表として出てきたとされているじゃないですか。赤文字系に対する青文字系、コンサバ系にたいする原宿系であると。ただ、今の感覚で見ると全然そんなことなくて、ギャルも含めて全部入ってるじゃんって思いますし、そういうミックスはきゃりーの登場以降に加速していったと思います。ブラウンと金以外のカラフルなヘアカラーリングなんて今でさえみんなやってますけど、きゃりーはかなり早かった。
――きゃりーぱみゅぱみゅについては、本書の「新世代ラップミュージックから香る死の気配――地雷系・病み系、そしてエーテルへ」というコラムのなかで言及していますね。
つやちゃん:ファッションだけでなく、中田ヤスタカのプロデュースがそうであったともいえるのですが、ラップ的な音の発し方もひとつのポイントでした。例えば、セカンドアルバムの『なんだこれくしょん』(2013)に「みみみみ みみみみみ」と連呼する「み」という曲があります。意味ではなく音で歌を歌うこうした楽曲が、10年代のラップ文化の根付きや広がりをじつは後押ししていたのではないかと思います。それと、ハイパーポップの元祖、源流はきゃりーぱみゅぱみゅにあるのではないかとも。それは、海外のハイパーポップのプロトタイプをやっていたプロデューサーやDJが日本のJポップを参照にしているというルーツもありますし、海外だけでなく、日本でハイパーポップをやっている人たちのなかにも小さい頃はきゃりーを聴いていたという人はいて、そうした経験を基盤にインターネットの混沌を歪ませていっているのがいまのハイパーポップなのではないかと思うんです。だから、きゃりーはいまの音楽にもつながっていますよね。
――それこそ、先ほど触れたコラムでも語られているカナダ出身のアーティストであるグライムスはJポップや、「宇川直宏が語る“きゃりーぱみゅぱみゅ”1万字超え徹底分析」という「ナタリー」の記事などでも指摘されているきゃりーの“グロテスク+カワイイ”つまり“グロカワイイ(=「kawaii」)”に影響を受けています。さらに、そのグライムスが日本のアーティストに影響を与えている、という循環もある。きゃりーぱみゅぱみゅにちょっとギャルの要素が入っているという話が出ましたけれど、「ヒップホップとギャル文化の結晶=Zoomgalsがアップデートする『病み』」という章では、Zoomgalsを主軸にタイトル通りの内容が論じられています。「ヒップホップ×ギャル文化」は、大門弥生との共作ふくめてZoomgalsやメンバーがソロで多角的に提示しました。ラフにやっているように見えて、非常にコンセプチュアルですよね。
つやちゃん:「ギャルは見た目じゃなく、マインド」と言われるようになると同時に誰でもギャルを自称できるようになりました。そうした拡大解釈が広がってギャル以外のものとギャルがどんどんつながり変化していき、“ギャル最強説”が出来上がって浸透した結果、そろそろ次のフェーズに行く気はしています。それが何かはまだ私もわからないけれど、ギャルとゴスが繋がってきているのが興味深いですよね。最近のハイパーポップ周辺は、ファッション面にしても音楽的にも、ロックもボカロ系もなんでもミックスされて独自な動きが生まれていて、もちろんヒップホップの要素も取り込んだ形でカオティックなものが成立している。そしてそれらの根底にはゴス的な暗さがあるものが多い。新しいゴスの解釈をしているし、新しいラップ・ミュージックとして私はいまいちばん面白いシーンだと思っています。