つやちゃんが語る、フィメール・ラッパーたちの功績とその可視化 「チャラいものこそが素晴らしい」

つやちゃんが語る、フィメール・ラッパー

“チャラさ”を極めて成功するラッパーたち

――その考え方にはとても共感します。つやちゃんさんは、そうしたファッションやトレンドについて詳述する一方で、ラッパーの発声やラップの韻などについて丁寧に分析していくのも特徴です。例えば、Awich「洗脳 feat. 鎮座DOPENESS、DOGMA」(2020)の「バカばっかだ全く」のライミングとアクセントが、このリリックを耳で聴いて受け取る際に、どのような効果をもたらすかを分析しています。とても面白かったです。

Awich - 洗脳 feat. DOGMA & 鎮座DOPENESS (Prod. Chaki Zulu)

つやちゃん:音楽を聴いて引っかかった部分を大事にしたいんです。ただ、私もすぐに言語化できるわけではなくて、でも何かが気になるので立ち止まってじっくり聴いてみることを意識していますね。そういうひっかかるラップというのは、「何かが変だな」もしくは「カッコいいな」だけではなく、「何かが変だけど、カッコいいラップ」っていう、違和感と美的快感が同居しているケースが多いんですよね。そういうラップを分析していくと、そこにラッパーの人たちの高度な技術を発見するときがあります。子音や母音が効果的に使われているとか、1、2度聴いただけでは気づけない韻が隠されているとか、そういうのが必ず見えてくる。実際に女性のラップ作品にもそういう工夫はたくさん凝らされていますよね。

――冒頭で私が挙げた當山みれい「偽愛」も最初はそういう“違和感”に引きずられるように聴き込んでいきました。歌詞を読まずに何度か聴いて、その後歌詞を読みながら聴くと、意味と韻をどう関連させて作り上げていったのかがおぼろげながら見えてくる。技術があるからこそ、こうしたさり気なく過激な曲を作れたのだろうなと理解しました。

つやちゃん:意識的にやっている場合と無意識にやっている場合があるとは思いますが、いずれにせよ、それだけ高度なラップをしているラッパーがたくさんいる。たとえば、そういうラップを本能的にやっているラッパーとしては、Elle Teresaがいます。彼女の『KAWAII BUBBLY LOVELY II』(2019)のレビューでも書きましたが、赤ちゃんが使いそうな「ちゃ」「ちゅ」「ちょ」といった破擦音を頻繁に使いつつ快楽に徹したようなトラップのビートを重ね、それをあのだらっとしたギャルっぽい声で発することで、サディスティックな幼児性のような、到底結びつかない要素を無理やり同居させたような芸当を成り立たせる。それはセンスとしか言いようがない。

――彼女についての章「ラグジュアリー、アニメ、Elle Teresa」というタイトルが象徴していますが、Elle Teresaにおいてラグジュアリー・ブランドとヒップホップのセルフ・ボースティング(自慢行為)の関係について論じる視点はとてもつやちゃんさんらしいですね。

つやちゃん:Elle Teresaの参照元は、日本のギャルが元々参照してきた海外のセレブリティ文化やアメリカの西海岸カルチャーです。さらに、Elle TeresaのSNSを見ても、曲を聴いても、引用のセンスが“グロカワイイ”んです。海外のセンスで日本のアニメを消化したような独特の感性がありますよね。そういう意味での毒がある。

――きゃりーぱみゅぱみゅの話にもつながりますね。

つやちゃん:さらに胸が熱くなるのは、それだけ海外のセレブリティ文化へのリスペクトがあって海外への移住願望も語りながら、地元の静岡に戻り活動している点ですね。「FUJI」(2021)という曲では「あたしFujiさん登るみたいにいくTop/あたしのまち静岡ここからTop」とラップしています。海外のセレブリティ文化を取り入れて地元の仲間も大事にする。その上で、要約すれば「あたしはカワイイ、あたしはすごい、あたしはリッチ」という内容のラップをあの幼児性のある発音やフロウでくり返すわけです。住むところも何もかも、正しく幼児に戻っている(笑)。あと、「あたしはカワイイ、あたしはすごい、あたしはリッチ」という歌詞にそんなに深い意味はないじゃないですか。だけど、くり返すことで、軽さに重みが出てくる。それが私はきわめてヒップホップ的だと思います。

Elle Teresa - Fuji (prod by Never Child)

――そうしたつやちゃんさんの考え方、信念は本書から一貫して伝わってくるものです。

つやちゃん:チャラいものをチャラいと切り捨てることは誰にでもできるじゃないですか。だけど、チャラさを技術や才能を使って積み上げていくことで、チャラくなくなってくる。私にとってはそれがヒップホップの重要なエッセンスのひとつなんです。私がいまなぜこうして批評ができているかというと、チャラさを極めて成功するしかないという覚悟や肝の据わったマインドを持った優れたラッパーの人たちがいて、自分自身がそれに救われてきたからです。Elle Teresaにもそうした覚悟を決めた人の強さを感じます。基本的に流行やトレンドは軽薄なもので、私はそういったチャラいものこそが素晴らしいと思っていますし、文化にとって本質的なものだと思っています。それが私の基本的なスタンスですね。もちろん重いことを切実に歌っているラップも好きですけど、どちらかというとチャラさや軽薄さから立ち上がってくる重いのか何なのか分からない不思議なものに惹かれます。芸術やアートというとどうしても権威化された重厚な価値観に傾きがちですが、実はそれは単なる一つの評価軸でしかない。一見チャラくてくだらなくて馬鹿馬鹿しい音楽があった時に、これを評価したくないなと生理的に感じた時こそが一番注意ですね。そういうものほど何度も聴くことで重量感を帯びてきたりする。ヒップホップって不思議ですよね。チャラいことをやって無視されてきた女性のラップ作品に、そういった力が宿っていることは多い。ハートと技術でもって軽薄であることをなんとか肯定させる力技がヒップホップの醍醐味だと思います。

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