追悼:水島新司が描いた『ドカベン』明訓高校×土佐丸高校での見事な作劇と野球の本質
漢・岩鬼正美の負けられない勝負
9回裏の攻撃、そして、その後に続く延長戦。そこで水島新司は、あざといまでの“泣きの演出”を立て続けにぶち込んで来る。山田、岩鬼、殿馬、里中の辛い“過去”の回想が、それぞれの勝負どころで挿入され、読者の心を大きく揺さぶるのである。
とりわけ岩鬼の“過去”は、何度読み返しても、胸が熱くなる。
エリート一家に生まれながら、親からまったく期待されていなかった岩鬼正美。小学生の頃から周囲を困らせる乱暴者だったが、そんな彼にはただひとりの理解者がいた。「お手伝いさん」の「おつる」だ。
おつるは、ある時、岩鬼に言う。「数字で 人間の値打ちが 決まるわけやおまへん/不成績でも気にしない そのキモっ玉の大きさが 大人になったら必要なんです」
そう、孤独な少年であった岩鬼にとって、おつるは母であり、姉であり、先生のような存在だった(その容姿は、岩鬼の想い人である「夏子」とどことなく似ている)。だが、やがて彼女は「クビ」になってしまい、ふたりは離ればなれに……。
そんなおつるが観客席で自分を応援している姿を、9回裏――バッターボックスに入った岩鬼は見つけるのだ。むろん、おつるにとっては、かつて孤独だった少年がいま、多くの仲間とともに頑張ってる姿を見られただけでも充分だろうが、岩鬼にしてみれば、ここで打たなきゃ漢(おとこ)じゃないってものだ。
「お元気でしたんやな/わいは心配してた/一日として 忘れたこと おまへんでしたで/よう ご無事で…………/よう 応援にきてくれました」
その後、彼が打つかどうかは、ここでは書くまい。
また、そこから先の展開だが、さんざん、最後はやはり主人公(=山田太郎)の一発で試合が決まるのだろう、という演出で引っ張っておきながら、水島新司は、あえて別の選手に決めさせる。この作劇も、見事だ。
「野球は筋書きのないドラマである」とは、三原脩(元プロ野球選手・監督)の名言だが、そのことを、この野球漫画の巨匠もよくわかっていたのだろう。
水島新司先生のご冥福を、心からお祈りいたします。