聴こえないはずの音楽が届く……くらもちふさこ『いつもポケットにショパン』の色あせない魅力

くらもちふさこ『いつもポケットにショパン』の魅力

※本稿は『いつもポケットにショパン』の内容について触れている箇所がございます。同作を未読の方はご注意ください。

 くらもちふさこさんの名前を知ったのは、『いつもポケットにショパン』(集英社)からでした。少し年上の従姉妹が読んでいた『別冊マーガレット』を借りたときのこと、たまたま読んでいた号に、新連載としてこの作品が掲載されていました。一緒にピアノを習っている小学生の麻子と季晋が、中学生になるときに別れ別れになるものの(季晋はピアノを学ぶためドイツに行ってしまったのだ)、高校で再会するという物語です。

成長物語のフォーミュラにのっとっているからこそ、物語に入りやすい

 有名ピアニストである麻子の母親・須江愛子と季晋の母親・緒方華子は、かつてはピアノだけではなく恋愛においてもライバル関係でした。幼い頃は麻子を頼りにしていた季晋は、ドイツで事故死した母親の遺志を継いだかのように、再会後は麻子をライバル視するようになっていました——再会したときにショパンの「ノクターン」を一緒に弾こうという約束など、まったく忘れたかのように。

 幼い頃の約束、別れ、そして再会。いつまでも変わらない想いを抱く麻子と、幼い頃とはまったく違う顔を見せる季晋。音楽学校という芸術で競い合わなければならない環境。そこに、麻子と季晋のそれぞれの母親の物語が絡み合う——初めてこの作品を読んだとき、果たしてどこまでこの物語の奥深さを理解できていたかは定かではないのですが、忘れられない作品であったことは確かです。

 わたしの家ではマンガを買うことは許されていなかったので、単行本が出ると友達に頼んで借りては、返すまで何度も読み返していました。いまでも「ショパン」ときくと「いつもポケットに」という枕詞(?)と、時計が耳元でカチカチと鳴る音を思い出すほどです。

 なぜこんなに印象に残る作品なのでしょうか。このたびひさしぶりに読み直してみて、あらためていろいろと考えました。

 物語そのものは、もしかしたらそれほど斬新ではないかもしれません。自分の才能に気がつかない麻子、麻子の才能を見抜いて嫉妬する季晋、お互い切磋琢磨するライバルの存在、普段は厳しいけれども麻子のことを理解している母親や先生、やっぱり音楽が好きだという気持ちを確認していく麻子——いわゆる成長物語のフォーミュラにのっとっているからこそ、物語に入りやすいのではないかと思うのです。

 けれどもそれは他の作品と似たりよったり、ということを意味するのでは決してありません。この作品が際だっているのは——ほかのくらもち作品も同様だと思うのですが——それぞれの登場人物が背負っている物語というものが伝わってくるところです。もちろん内的独白もあるのですが、それ以上に、麻子や季晋をはじめとした登場人物の、本来は目に見えない心の揺れが、顔の表情や手のうごき、目線、思いがけない行動などの細やかな描写によって表現されているところに惹かれます。自分の気持ちを言えないまま松苗先生と対立する麻子、自分と一緒に弾くはずだったショパンのノクターンをまりあと弾く季晋を見る麻子、上邑を気にするまりあや、麻子と依里の関係など、いま読んでも胸が痛くなるほどです。

 中でもわたしが忘れられない場面は、単行本第4巻に登場する、踊るのを拒否した小さなバレリーナの場面です。コンクールのために練習していたショパンのソナタ第3番がとつぜん弾けなくなってしまった麻子。そのとき以前知り合った小学生の男の子に、クラスメートの「岡田さん」を紹介される。岡田さんは習っているバレエの発表会で主役に選ばれなかったことで気分を損ね、レッスンで踊ることを拒否している。皆が帰ったあともレッスン場に座り込んでいる岡田さんにむかって、麻子がピアノを弾き始める——「いまのわたしにできるのは あの少女のためのたったひとつの弾き方しかない」と思いながら。

 しばらく音楽を聴いていた少女は、たちあがると一度きり「美しいトゥール」を見せる。このときの少女の気持ちは、言葉ではいっさい語られていないけれども、音楽に合わせて踊らずにはいられなかったことが、これ以上ないほどに伝わってくるのでした。



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