【漫画】離婚&家売却でスタートした車中泊生活の真実……作者・井上いちろうが語る価値観の変化
――まず、本作を描こうと思ったきっかけについて聞かせてください。
井上:純粋に、今の自分が置かれた状況を漫画に描いてみたくなったんです。離婚して、家がなくなって、車中泊で暮らしているなんて。漫画家として、こんなネタの宝庫ないじゃないですか(笑)。もともと旅打ちをしながらパチンコやパチスロなどのギャンブル漫画を描いていたので、自分のドキュメンタリーを題材にすることに抵抗もなかったですしね。
それにギャンブル漫画を描いていた当時は、まだタブレットで絵を描く文化が発達していなかったから、わざわざ家に帰って、デスクトップで描いていたんですよ。「地方にいたまま漫画が描けたらいいのになぁ」とはずっと思っていて。まさに今それができる時代になって、ちょうど生活環境もガラッと変わったので、やるしかないなぁと。そんな感じでしたね。
――車中泊生活をしながら漫画を描くにあたって、いちばん大変なことは何ですか?
井上:車中泊のリアルをどれだけ描くか。その塩梅ですかね。何時間だったらひとつの駐車場に停車しても許されるのか、毎日公共のトイレを使用するのはどうなのか。フォーマットのない生活スタイルなので、ひとつの行動に対する是非のジャッジが難しいんですよ。車中泊禁止の駐車場で車中泊しないとか、その場所から定められているルールがあれば従いますけど、あとはモラルに委ねられる部分がほとんどですからね。
――明確な車中泊生活の決まりみたいなものはないですもんね。
井上:その際どい部分を漫画に描いて「これはモラル的にどうなの?」って形で注目されてしまうと、車中泊している人全体のイメージを下げかねない。それは自分の首を絞めることにも繋がるし、ルールを守って車中泊生活を送っている人たちの迷惑にもなるので、常々意識していますね。
――そんなフォーマットのない車中泊生活を続けるうちに、井上さん自身のなかで変化したことはありますか?
井上:”死生観”とか、”人間らしさとは何なのか”とか、価値観の変化はどうしてもありますよね。読者の方に共感してもらえるか分かりませんが、毎日80キロのスピードで高速道路を運転しているってことは、「ここで誤ってハンドルを切ったら死ぬかもしれへん」って状況がずっと続いているってことでもあって。普通に生活していたら、そんな風に死を身近に思う瞬間もないじゃないですか。そういった今までにない思考が身についてきた感覚はすごくありますね。
――それは徐々にですか?
井上:そうですね。この生活を始めて3ヶ月経った頃は、気持ち以上に体の拒絶反応が酷くて。手、足、首が帯状疱疹になって、皮膚がただれるくらい荒れたんです。いろんな軟膏を買って何とか治りましたけど、1年くらい続きましたね。そこから少しずつ、価値観も変化していったような気がします。
――体に症状が出ても車中泊生活を辞めなかったのはすごいですね。
井上:それは、普通に家を借りて、そこで漫画を描くって生活をする気になれなかっただけです。それ以上に、車で移動しながら漫画を描いている方が楽しいって分かっていたから。さすがに入院レベルで体調が悪くなったら辞めていましたけど。不思議なことに、人間、どんな環境にも徐々に順応していくものなんだと思いますよ。
――本作には、1日に発した言葉が「あっつ……」「198番を2つ」「ああああああああ」の3つだけだった日もあったと描かれていました。取材させていただいて、とてもお話上手な印象を受けたのですが、人と話せない時間が多いことは苦痛ではないですか?
井上:それも順応ですよね。ハシビロコウが動かないのは、生物として動かなくていい環境に順応しているからだと思うと、多分僕も同じで。それに、コミュニケーションに関しては、Twitterでフォロワーさんから反応をいただくことに救われている気がします。フォロワーさんがいなかったら、今日まで車中泊生活を続けられなかったんじゃないかと思うくらい。いいねやRT、コメントをいただくたびに、漫画を描いていてよかった、全然孤独じゃねぇやって感じていますね。
――なるほど。確かに井上さんの車中泊生活は、孤独なようで孤独じゃないのかもしれませんね。では最後に、今後の車中泊生活の行方はどうなりそうですか?
井上:コロナ禍が落ち着いたら、もっと地方での観光を楽しみたいと思っています。そして、これから冬になりますけど、寒い日は電気ケトルでお湯を沸かして、ドリップコーヒーを淹れて飲むのがたまらなく幸せなんですよ。ちょっとリッチなお茶漬けの素を買って、車の中でご飯炊いて食べるとかね。そんな様子を今後も描いていけたらと思うので、まだ本作を読んでいない方は、ぜひ「こんな生活もあるんだなぁ」と、自分の生活とのギャップを面白がってみてください。