小川紗良が語る、小説『海辺の金魚』で描きたかったもの 「クローズアップされない所に関心がある」
役者の小川紗良が執筆した小説『海辺の金魚』が6月9日に発売された。本作は、6月25日に公開が予定されている小川紗良の初長編監督作『海辺の金魚』を自ら小説化したもの。
18歳を迎え、児童養護施設で最後の夏を過ごす主人公・花と新しく施設に入所した8歳の少女・晴海の出会いから描かれる人間模様。決して一言では語ることのできない複雑なテーマを、小川紗良はどのように表現したのだろうか。映像と活字という表現の違いに着目しつつ、本作の執筆について話を聞いた。(とり)【記事の最後に最後にプレゼント企画があります】
映画から小説へ
――書き終えた実感としてはいかがですか。
小川:映画の撮影が全て終わってから執筆を始めたこともあって、「小説は映画に比べて自由度が高いなぁ」というのが正直な感想です。映画だと、ロケ地の選定からキャストやスタッフのスケジュール調整、予算設定など、考えることがたくさんあります。それに対して小説は、時間や場所に囚われることなく、一人で作品に没頭することができます。みんなで作り上げる達成感も素晴らしいですが、今回、映画を小説化するうちに、自分のなかで改めて『海辺の金魚』に対する理解が深まりましたし、意味のある時間になりました。
――映画と小説、どちらも見させていただきましたが、単なるノベライズではなく、また違った視点で楽しめる作品だと思いました。
小川:映画をただ言語化して小説にするだけでは意味がないと思ったので、映画の舞台となったひと夏のその先の季節を描こうと、小説は4編の連作にしました。発売は小説の方が先になりますが、どちらから見ていただいても楽しんでいただける作品になったと思います。
――描写が非常に細かく丁寧で、小説から先に読んだこともあり、活字から映像がリアルに浮かんでくるような感覚でした。
小川:特別細かい描写を意識したわけではないですが、できるだけ多くの方に読んでいただけるよう、分かりやすい言葉づかいにすることは心がけました。読む人を選びたくないというか。本作に登場する人物の心情や環境には複雑な部分が多々あるからこそ、難しい作品にはしたくなくて。
それに、映画と小説では、アプローチの仕方が全然違います。映画では、人の表情や周囲の状況が流れるように視界に入ってきますが、小説は文字だけで読者の想像力に委ねながら進んでいきます。そこで、小説の高い自由度を活かしながら、読者に想像の余白を残しつつ、読み終わった後にその空気感や温度感がじんわりと残るような小説にしたいとは思っていました。
――これまでにも、エッセイやコラムを書かれていますが、小説となると同じ“文章を書く”にしても、やはり勝手が違いましたか?
小川:感覚的には同じでした。エッセイで自分の体験した事実をつらつらと書く際も、無意識のうちに、小説を書くのと同じような感覚で書いていたのかもしれません。ただ、やはり分量の多さは圧倒的に違い、小説は長い旅に出るような感覚でした。いつか、今回とは逆パターンで、小説から映画を作ることにも挑戦してみたいです。
子どもたちへの関心
――本作の舞台に、様々な事情で身寄りのない子どもたちが暮らす児童養護施設を選んだのはなぜですか?
小川:前提として、ひとりの女の子が自分の人生を歩もうとする瞬間を描きたかったというのがあって。そのうえで、前々から様々な状況に置かれた子どもたちを描いた作品や実際のニュースに関心があったこと、また映画で主演を務めてくれた小川未祐さんが撮影当時ちょうど18歳だったということもあり、施設で育った女の子が自立に向かって歩み出していく物語にしようと決めました。
――もともと関心のある題材だったんですね。
小川:はい。映画を作る際、改めて施設の実態を描いたドキュメンタリーや映画、書籍を見返したり、実際に施設に足を運んだりしました。
――実際に見学してみて、これまで作品から抱いていた印象は変わりましたか?
小川:ドキュメンタリーや書籍によっては「かわいそうな子どもたち」というような切り取り方をしているものもありますが、私はそうではなく、もっとそこにある日常に寄り添った作品に関心を持って見ていました。実際に訪れたことで、やはりそこにはそこなりの普通の日常があるということを確かめられたのがよかったです。でも当然ながら、毎日食事をしたり、遊んだり、そこにはちゃんと日常が広がっているんですよね。
施設のホームページに掲載されている「○○通信」といった季刊誌も、読み漁りました。例えば「子どもがなかなか靴下を履かなかった」みたいな、どこの家にもあるような些細な出来事が書かれているので、日常を感じやすかったです。子どもたちが施設でどんな日々を過ごしているのか。見学や日誌を通してその情景を知ることができたのは、執筆するうえでとても助けられました。映画の撮影でも阿久根市の子どもたちと過ごしていたので、子どもならではの言動や感情の揺らぎなど、実際に接した子どもたち一人ひとりをリアルに思い浮かべながら、書くことができました。