『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』への違和感が消えた理由 社会的に認められない恋愛をどう描く?

『ひげひろ』に抱いた違和感が消えた理由

 違和感を覚えた。だから、しめさばがカクヨムに連載した小説を書籍化し、2018年から刊行し始めた『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』シリーズについて、最近まで関心を向けることを避けてきた。

 5年越しの恋心を、勤めている会社の上司で巨乳の後藤愛依梨に打ち明けたものの、恋人がいると言われ玉砕した吉田。憂さ晴らしに酒を飲んで家に戻ろうと歩いていた深夜の路上に、しゃがみ込んでいる制服姿の女子高生がいたから気になった。声をかけると、女子高生は泊めてくれるならヤっても良いよと体を差し出そうとした。吉田は据え膳食わぬは何とやらと抱くことはせず、だからといって追い出せば他の誰かに同じことを言いかねないと考え、自分のアパートの部屋に住まわせた。

 そんなイントロダクションの『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』に違和感を抱いたのは、男だったら女の子に欲情して抱こうとするのが当然と思わせるストーリーが世間に氾濫しているのに、吉田がそうしなかったからではない。後藤さんへの未練と、女子高生に手を出す不道徳さへの抑制が吉田を縛ったのだとしても、踏みとどまった意思に不思議はない。

 気になったのは、何もしないまま荻原沙優という名の女子高生を住まわせ続けて、ストーリーが成り立つのかといったことだ。沙優が吉田の家に居続けていいかどうかの決定権は吉田にある。当人に追い出す気持ちはなくても、沙優の方では機嫌を損ねて追い出されたらどうしようと不安になり、従順に振る舞おうと心がける。

 そんな心情の中で育まれた吉田への恋情は、本当に心の底から出てきたものなのか。単なる依存ではないのか。曖昧な関係のまま時間が過ぎれば、沙優はそこから離れられなくなってしまう。依存され続ければ吉田だって、いつかは沙優の恋情を受け止めなくてはならなくなる。そして受け止めれば、社会規範の中ではあまり褒められない境遇へと堕してしまう。

 そんな行く末を考慮するなら、早くに大人として事情を探り、逃げ出した理由があるなら、実家には戻さずシェルターへと送るべきだと思った。単なる親子げんかなら、家族との間を取り持つような解決方法を見いだすべきだと考えた。そうはならない展開に違和感を覚えた。同時に、ふわっとして心地よい関係を、停滞した時間の中に幸福気味に描いている展開が崩壊するのが怖くて、続きを読むことを避けてきた。

 『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』と同じ時期、同じ角川スニーカー文庫からトネ・コーケン『スーパーカブ』も刊行されるようになった。裕福ではなく、家族も友人もいない女子高生が、1台のスーパーカブを手に入れて乗るようになったことで、関係が広がり世界が広がっていく様を淡々とした筆致に描いて評判になった。レーベルではこちらを個人的には推していた。

 『スーパーカブ』は2021年4月からテレビアニメ化もされて、原作が持つ空気感を映像によって巧みに表現して、一段と世の中の関心を高めた。同じ4月から、『ひげを剃る。そして女子高生を拾う』のテレビアニメも始まった。ショートストーリーを集めた1冊を含む5冊の文庫が刊行され、テレビアニメにもなるなら原作も好評だということだ。その理由がどこにあるかを考え、封印していた第2巻以降のストーリーに触れて、作者が決して停滞の中に他人だった男と少女による疑似家族を封じ込め、破綻から逃げようとしたのではないと分かった。

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