『呪術廻戦』真人、清々しいまでの悪役ぶりにファン急増? 敵キャラとしての魅力とは?

『呪術廻戦』真人、敵キャラとしての魅力

 『呪術廻戦』に出てくる呪霊の中で、一番呪霊らしいキャラといえば真人ではないだろうか。本編に出てくる彼の性格や言動には人間味のあるものは一切無く、敵キャラらしい敵キャラである。だが一方で、その清々しいまでの悪役ぶりに人気が集まってもいる。

以下、ネタバレあり。

 真人は未登録の特級呪霊の一人で、人が人を憎み恐れた負の感情から産まれた呪いだ。体中継ぎ接ぎだらけの青年のような容姿で、一見すると非常に明るく、人間にもフレンドリーに接している。だが、蓋を開けると極悪非道。魂に触れて生物の肉体を自由に変形させたり、改造したりする「無為転変」という術式を使い、多くの改造人間を生み出してきた呪霊だ。

 そんな真人の敵らしさを増長させているポイントは、いくつかに分けられる。1つ目は、「子どものように無邪気で欲望に素直なところ」だ。原作単行本3巻の「生き様に一貫性なんて必要ない お腹が減ったら食べるように憎いなら殺せばいい」、11巻の「軸がブレようと一貫性がなかろうと 偽り無く欲求の赴くままに行動する それが俺たち呪いだ」という台詞にこそ、真人の性質が集約されているように感じる。

 渋谷事変では、虎杖悠仁を殺さず捕らえる作戦を無視し、無邪気に「やっぱ俺も虎杖殺したいかな」と笑顔で提案をしているシーンもある。筋道や常識を一切無視して己の欲望のままに動くからこそ、予想がつかず恐怖を感じるのだ。

 それに付随して、「人間を人間として見ていない」というポイントも挙げておきたい。そもそも、真人は無為転変を使って、多くの人間に手をかけてきた。縮小化した改造人間を常に持っており、呪術師を襲わせるのも彼の戦い方のひとつだ。しかも単に縮小化、巨大化をさせるだけではなく、2体以上の改造人間を融合させる「多重魂」という技や、その際生まれる拒絶反応を利用した技「撥体」も使うなど、完全に人間を道具としてみている節がある。

 単行本の中でも「人間少しは残そうよ 週末は森に放して狩りをするんだ」という、まるでおもちゃのことを語るような発言もしている。漫画の世界とは言え、この真人の考え方には嫌悪感を抱かざるを得ない。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「書評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる