最果タヒと銀色夏生、2人の詩人の共通点と違いは? それぞれが描く「私」と「君」の世界

最果タヒと銀色夏生、詩の世界を紐解く

 「夜景座」という星座があったとしたら、どういう星座なのだろうと思う。きっと、夜景のひとつひとつの明かりを星とした、壮大な星座になるのではないかと想像する。

 『夜景座生まれ』が8つ目の詩集となる最果タヒは、1986年生まれの詩人だ。詩やエッセイ、小説を発表するほか、詩を撃つゲーム「詩ューティング」を作り出したり、横浜や渋谷PARCOなどで詩のインスタレーション作品を展示するなど、詩を拡張するとも言える活動をしている。

 詩というのは、長い歴史を持っているわりに、難解というイメージからか手に取られる機会が少ない文学だ。そのイメージを変えたとも言えるのが、銀色夏生ではないかと思う。1980年代から詩集を出版。その中身は、詩と共に、銀色夏生によって撮られた写真が掲載されているものが多い。詩の新しいスタイルを提示してきた、銀色夏生と最果タヒ。その2人の詩の世界を見比べてみたいと思う。

 2人の詩に共通しているのは、「私」と「君」のことを中心として書いたものが多いという点と、どこか仄暗いところがあるという点である。

 まず銀色夏生の作品を見ていくと、『散リユク夕ベ』に収録されている詩には、

僕は君を守るつもりですが
いいですか

僕たちは弱いけど
今は力はないけれど
いつかきっと
すごくしあわせになれるよ
いつかきっとね
だから
僕の手を強くにぎっていて

 といったものがある。この2作品には仄暗さは感じられないが、

苦しさを伝えようとしても
夜は暗く
夜は深く
夜は静かで
あなたは遠い

 という詩を読むと、幸せな「私」と「君」の世界だけが展開されているわけではないということが分かる。

 『葉っぱ』という詩集に収録されている「夢」という作品では、「夢」や「恋」という文字が入った場所に行こうと2人で地図を見ているのに、「僕」は「死骨崎」という、「夢」や「恋」とは反対にあるような地名の場所に行きたいと密かに願っている。幸福な詩かと思いきや、どこかに死の匂いすら感じさせる詩を書いているのだ。

「夢」
夢という文字が
どこかにはいった場所に行こう
夢路海岸がいい
次は恋ね
二人で地図とにらめっこ
僕は死骨崎へ
行きたい

 銀色夏生の作品は、「私」と「君」が作り出す小さな世界でどのように生きるかというところに視点を置いたものが多い。それが幸せだろうが、影が見えようが、とは言え「私」と「君」の見える範囲の世界が描かれている。一方で、最果タヒの作品を読んでいくと、「私」と「君」の世界はメキメキと拡大していく。

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