最果タヒと銀色夏生、2人の詩人の共通点と違いは? それぞれが描く「私」と「君」の世界

最果タヒと銀色夏生、詩の世界を紐解く

すこしでも触れられたら裂けてしまいそうな傷口が、
ぼくそのものだと気づいている?
(略)
誰よりもぼくを深く傷つける人、
きみの手はあたたかいと、ぼくは早くきみに言いたい。
ーー「傷痕」

(略)
夕立の中できみが言った言葉は、どこにも記録せず、
私が生きるかぎり存在する結晶にするんだ。
いまきみと手をつなぐ、きみの体温が私の血に、心臓に届く。
ーー「氷の詩」

(略)ここに、ぼくがいて、きみのことを今から知る、
なにひとつきみの過去を覚えていない人間が、
これから、ここで生きることが、無性に美しくみえるなら、
きみも、きみのことを忘れていける、
100年後も、1000年後も。
ーー「墓標」

 「私」と「君」の関係性からできあがる世界は、一筋縄ではいかなくなる。どこか必死で、切実で、緊迫感に溢れている。「傷口」や「心臓」という単語は、ひどく生々しい身体感覚を覚えさせるし、「覚えていない」「忘れていける」というワードは、よそよそしさがある。身体の内部から、歴史の流れまで、「私」と「君」が生きる世界は包容する。

ぼくを好きでないくせに、
あなたの心臓にも鼓動がある。あなたにも孤独がある。
擦ると火がつくであろう、夜の暗さ、部屋の暗さ、
扉を閉める音がして、けれど誰の声も聞こえない。
(略)
ーー「マッチの詩」

 最果タヒの詩は、暗さは増すけれど、その代わり境目がはっきりとしている。それは、人間の惰性の情のようなものが介入していないからではないかと思う。

死と生の境界ではなく、光速と高速の境界に川が流れ始めるこの時代にわたしたちは何を恐れるべきだろうか、きっとコンビニやファストフード、インターネットは自殺の一種なのだ、もう何も知らないから、大丈夫です、知らないから、知らないなら自殺は自殺じゃなくなるんですよ、知らないから死は死でしかなくなるんですよ、どうであろうが。
ーー「超愛」

 「死は死でしかな」い。そこに情が入る余白はなく、しっかりと封をされた暗さを手渡された気分になる。

 最果タヒの書く詩の「私」と「君」は、様々なものがプロジェクションマッピングのように投影される、まっさらな物体なのではないだろうか。投影されている間は、コロコロと世界を変え、血が流れていて鼓動もあるけれど、投影が終わると、「私」と「君」は概念になる。銀色夏生と最果タヒがそれぞれ詩で書く「私」と「君」の世界は、接点を持ちつつも別ベクトルに進み続けている小宇宙のようだ。

■ねむみえり
1992年生まれのフリーライター。本のほかに、演劇やお笑い、ラジオが好き。
Twitter:@noserabbit_e

■書籍情報
『夜景座生まれ』
著者:最果タヒ
出版社:新潮社
出版社サイト

『散リユク夕ベ』(角川文庫)

『散リユク夕ベ』
『散リユク夕ベ』

著者:銀色夏生
出版社サイト

『葉っぱ』(幻冬舎文庫)

『葉っぱ』
『葉っぱ』

著者:銀色夏生
出版社サイト

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