「笑っていいもんとあかんもんの線引きは、芸人のなかでもかなり難しい」 ジャルジャル・福徳秀介が語る繊細な“笑い”
お笑いコンビ・ジャルジャルの福徳秀介が、初となる小説『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』を書き下ろした。本作への思い入れが強すぎてタイトルを自分で決められなかったという福徳に、執筆について、登場人物のモデルについて、思い入れのあるシーンについてなどたっぷりと訊くことができた。後半、話はセンシティブな“笑い”について、そして自身が言葉に興味を持つきっかけとなった事柄にも及び、時間いっぱい盛り上がるインタビューとなった。(編集部)
改稿、改稿、改稿を重ねて出来たデビュー作
――執筆には4年もかかったんですよね。内容もずいぶん変わったのでは?
福徳:全然ちがいますね。むしろ残っているのは「冴えない大学生の主人公が女の子に出会って夢中になる」っていう部分だけです。最初は3カ月くらいで一気に書き上げたんですよ。で、そこから2年間、誰にも見せずにひとりでこつこつ改稿し続けて……。
――え!? 出版社に持ち込んだりもせず?
福徳:なんにも。もともと文章を書くのは好きで、知人に「書いてみれば?」って言われてちょっとやってみた、というくらいのスタートなんで……。でもさすがに「ひとりで何のためにやってんねやろ」って思いはじめたころ、小学館の方を紹介されました。そこからはまたプロの厳しい視点からさらに改稿、改稿、改稿をくりかえして……。
――4年。
福徳:自分でもなにを書いているんだか、これは本当によくなっているのか、わかんなくなる時がありました。でも、いま改めて完成したものを読み返すと、我ながらぐっとくる部分があるので、頑張ってよかったなあと思います(笑)。
――主人公の“僕”こと小西は、関西大学に通う大学2年生。友達は妙な関西弁を使う山根だけで、ぼっちの自分をごまかすためにしょっちゅう日傘をさしています。そんなとき、堂々と食堂でひとり、ざる蕎麦を食べている同級生の桜田さんに出会い、その凛とした姿に惹かれます。
福徳:大学生を主人公にしようというのは、最初から決まっていたんですよ。なんでだかは自分でもわかりません(笑)。関西大学は僕の出身大学だけど、それは単に、架空の大学を舞台にしようと校内図を描いてみてもいまいちしっくりこなくて、それなら知っている場所にしようと思ったくらい。とくべつ自分の学生時代と重ねているわけでもないし……。
――日傘をさしていたわけではない?
福徳:さしてません(笑)。あ、でも下駄履いていた時期はありました。フォークソングにハマってたんですよ。吉田拓郎さんとかが、デニムに下駄履いてるのがかっこいいなあって憧れて、一時期……。まあ、変ですよね。でもそういうあからさまに変な見た目なら、一人でいてもおかしくないって空気が生まれるというか、変わりもんだから一人なんだってみんなも流してくれるんじゃないかなって思ったんですよね。見た目はふつうなのに一人っていうのは浮くなっていうのは、大学に入って感じたことだったので……。でも今も、楽屋で似たようなことしていますよ。大部屋楽屋に入れられたとき、とくに仲いい人が見当たらなくて話に入っていけないと、むだに本を読んだりネタを書いているふりをするとか。
――ああ、それはちょっとわかります。一人でいることを正当化したくなる気持ち。
福徳:僕はひとりで焼肉食べにも行けるけど、ひとりでテーブル席につくのはちょっと居心地悪いから個室にしてもらったりする。そういう中途半端なやつなんです(笑)。だからこそ、そういう言い訳がなくても堂々と食堂でひとりごはんを食べられるような人への憧れとして、(桜田)花ちゃんを書きました。小西が惹かれるとしたらそんな女の子だろうな、って。ただ、小西に僕と同じように下駄を履かせたら、山根と一緒にいるとき、もっと浮くでしょう。だから日傘にしました。僕と小西の重なる部分は、まあ、それくらいですね。
笑って“いいもん”と“あかんもん”
――友達の山根、バイト仲間のさっちゃん、喫茶店のマスターなど、作中にはさまざまな登場人物が出てきますが、他の人たちにもモデルはいないんですか?
福徳:山根だけは唯一、モデルがいます。僕の大学時代の同級生。名前もそのまま、山根です。
――大分県出身の山根くんは、坊主頭で服装も奇抜。方言コンプレックスと大阪弁への憧れのせいで唯一無二の山根弁を完成させているという、かなり独特なキャラクターです。実際の山根さんもそういう感じなんですか?
福徳:こんな変なしゃべり方はしなかったです(笑)。九州出身の坊主っていうのはそのままですけど。それに僕自身は、あんまり彼と仲良かったわけじゃないんですよ。ただ、すごく明るいわりになぜか友達の少ない彼のことが気になってはいて。一度だけ、一緒にメシ食って家に遊びに行ったことがあるんですよ。でも、次の日に会うと前日に築いたと思っていたはずの関係がリセットされて、すっと距離をとられた気がした。小西はどういう奴となら仲良くなれるんだろうって考えたとき、自然と「山根とだったら」って思ったのは、そういうちょっとした影を感じる部分に惹かれていたからかもしれません。
――山根くん、すごくいいですよね。70歳近い教授が教壇でこけたとき、みんなが笑ったのに彼だけ笑わないじゃないですか。「面白いと思ったらアカンねん。転けたねん。ケガしてたかもしれないねん」と。その後、笑ってはいけないことで笑ってしまったことで山根と喧嘩した小西に、喫茶店のマスターが「誰かを茶化して笑うときって、相手が笑ってなかったらダメなんだよね」というセリフもありますが、笑いに対する描写は作中にしばしば出てきます。
福徳:そうですね……。笑っていいもんとあかんもんの線引きは、芸人のなかでもかなり難しいところなんですよ。NHKの番組で『バリバラ』ってあるでしょう。障害をもった方がみずからを笑いに変えていくっていう番組ですけど、あれを観て笑うのがアリかナシかっていうのも、芸人の中ではかなり議論になるんです。彼らが自分たちをネタとしてボケているとき、こちらが笑ってしまうのはアリ。だけどたとえば、そうではないところで転けてしまったりしたときはどうなのか。かわいそうって思うのはちがう。それは失礼。その人が本当に笑ってほしいことなのかどうかは、わからないですよね。笑うほう・笑わせるほうが両想い状態じゃないとあかんのじゃないかな、でもそれってどうしたら見極められんのかな、っていうのは難しいテーマだなあと思います。
――教授は「皆さんが笑ってくれたおかげで、気持ちは助かりました」と言って、小西と山根は自分たちの気遣いはからまわりしていたことを知ります。やがて小西が桜田さんと友達になり、彼女がお父さんをはやくに亡くしていると聞かされたときも、過剰に気を遣わないでほしいと言われる場面があります。「『おとん、死んでんの!?』くらいでもいいんですよ」と。
福徳:僕自身が、高校生のときに父を亡くしているんですよ。で、大学時代とかに父のことを聞かれて「もう死んでんねん」って言うと「あぁそれは……ごめん」みたいにされることが多かった。僕からしてみたら「いやもうそんなん笑ってくれていいんやで」って気持ちもあって、そのへんは花ちゃんに代弁してもらった部分があります。ただ、同じ境遇の他の人が笑ってほしいとは限らないので、やっぱり難しいですよね。