半沢直樹とヨルシカ、それぞれの「盗作」と「模倣」 9月期月間ベストセラー

半沢直樹とヨルシカの「盗作」と「模倣」

9月期月間ベストセラー【総合】ランキング(トーハン調べ)

1位 『半沢直樹 アルルカンと道化師』池井戸潤 講談社
2位 『ONE PIECE magazine Vol.10』尾田栄一郎(原作) 集英社
3位 『RUN IT!(2) 心の虹をかけよう』創価学会青年部「RUN IT!(2)」製作委員会(編) 第三文明社
4位 『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本』武田友紀 飛鳥新社
5位 『少年と犬』馳星周 文藝春秋
6位 『気がつけば、終着駅』佐藤愛子 中央公論新社
7位 『「育ちがいい人」だけが知っていること』諏内えみ ダイヤモンド社
8位 『あつまれ どうぶつの森 ザ・コンプリートガイド』KADOKAWA
9位 『女優やモデルのおうち習慣 テニスボールダイエット』KAORU 幻冬舎
10位 『なぜ僕らは働くのか 君が幸せになるために考えてほしい大切なこと』池上彰 監修 学研プラス
11位 『日本製+Documentary PHOTO BOOK 2019-2020』三浦春馬 ワニブックス
12位 『モーターファン別冊 ニューモデル速報 Vol.600 トヨタ ヤリスクロスのすべて』三栄
13位 『あつまれ どうぶつの森 完全攻略本+超カタログ』ニンテンドードリーム編集部 編 徳間書店
14位 『会社四季報 業界地図 2021年版』東洋経済新報社
15位 『僕のヒーローアカデミア 雄英白書 祝』堀越耕平、誉司アンリ 集英社
16位 『あつかったら ぬげばいい』ヨシタケシンスケ 白泉社
17位 『鬼滅の刃 風の道しるべ』吾峠呼世晴、矢島綾 集英社
18位 『趣味どきっ! アイドルと巡る仏像の世界』村松哲文 講師/和田彩花 ナビゲーター NHK出版
19位 『人は話し方が9割』永松茂久 すばる舎
20位 『TVガイドPLUS VOL.40』東京ニュース通信社

 2020年9月の月間ベストセラーランキング第1位は池井戸潤『半沢直樹 アルルカンとピエロ』だった。TVドラマの『半沢直樹』第2期が大成功を収めるなか刊行された久々のシリーズ新刊。ただしドラマで話題となった大和田や中野渡等々の面々は出てこない(中野渡は少しだけ言及されるが)。半沢が東京から飛ばされて大阪の支店に勤務していた時代を描く。

『アルルカンとピエロ』導入部あらすじ

 融資部課長として大阪に赴任した半沢は、老舗の美術系出版社のM&A案件を托される。だが当の会社社長と会うと買収提案には乗り気ではなく、自主再建を望んでいる。一方の買い手側は、一時期話題となったが最近は成長が鈍化しているベンチャー企業。その経営者はアートコレクターとしても著名であり、自前の美術館建設・開館も控えていた。この買収案件を「頭取の方針だ」と語ってゴリ押ししてくる行内における半沢の仇敵・宝田。しかし、宝田にしろ買収側にしろ、行動に不可解な点が目立つ。この買収の真の意図は、違うところにあるのではないか……?

 というのがあらすじだ。登場する企業はそれぞれCCC(TSUTAYA)に買収される前の美術出版社や、ZOZOを連想するかもしれないが、モデルとして扱っているふしはない。

 この作品がこのタイミングで刊行されたことには奇妙な偶然がある。扱っているテーマやモチーフがヨルシカの手がけた小説/音楽『盗作』と似ているからだ。

ヨルシカ『盗作』とのテーマ/モチーフの相似

 2020年7月に発売されたヨルシカの『盗作』に収録された同名の小説のあらすじはこうだ。窃盗犯を経て世に流れる曲のパクりで生計を立てている作曲家が、雑貨店からガラス細工を盗んでは破壊している少年と出会う。少年は芸術的なステンドグラスが作れるにもかかわらず、食っていくために雑貨店用にガラス細工を制作し、卸している母のことが許せない。音楽泥棒である作曲家は、同じく泥棒である少年に自らの来歴を話し、音楽を志すことになった、亡き妻が出会いのときに弾いていたピアノ曲「月光」を少年に教える。

 これのどこが半沢最新刊と重なるのか。半沢もヨルシカも「盗作」と「模倣」をめぐる物語を描いている。

 『アルルカン』では、ある作家がある作家の構図やタッチを模倣し、それによって名声を得たという疑惑が、作中で重要な出来事として扱われる。『盗作』の主人公は犯罪者であり、さらに著作権法上アウトなレベルかは不明ながら、他人がつくった曲からメロディやコード進行を日常的に盗作している音楽泥棒である。そして『アルルカン』と『盗作』は「盗作」に対する扱いは対照的だが、「模倣」に対するスタンスには相通ずる点もある。

「盗作」と「模倣」

 『アルルカン』では、コンテンポラリーアート界では「オリジナリティ」が重要である以上「盗作」は許されない、そんな作家の作品には経済的な価値がない、という語られ方をする(現実の現代アートで「オリジナリティ」こそが最重要であり、盗作が許されない、と一概に言えるかは疑問だが、その点についてはこれ以上は突っ込まない)。

 一方、『盗作』では、音楽泥棒はオリジナリティがあるかどうかなどどうでもいい、と言う。さらにはミュージシャンがどんな人間であれ――たとえ人殺しだろうと――受け手がどう感じたかがすべてだ、聴いた人間の魂を揺さぶるものであるかどうか、作った/弾いた人間の心の穴が一瞬でも埋め合わせられたかどうかが重要なのだ、と語る。

 つまり、かたや「盗作」はダメだ、経済的な価値を下げるという世俗的な価値観に立ち、かたや「盗作かどうかは受け手にとっての芸術的な体験価値とは関係がない」という価値観に立っている。ところが「盗作」された作品(客観物)を生み出す元になる「模倣」という(主観的な)行為の意味づけについては、両者はやや一致を見せる。

 『アルルカン』では「盗作」に対する作中での否定的な評価に比べると、「模倣」に対する評価は否定一辺倒ではない。模倣こそが傑作を生み、作家を作った、模倣は(事後承諾ではあるが)友情に満ちたコラボレーションだったのだ、とも取れる書き方になっている。クリエイターの「何を描いてもダメならこれならどうか」という疑問、あるいは「あのとき見た鮮烈さを再現したい」という純粋さが先にある。

 『盗作』では、音楽泥棒が窃盗犯時代の先輩の言葉や亡き妻からいかに影響を受け、彼らの追い求めて模倣してきたのかということを少年に語る。少年は音楽泥棒に感化されてピアノを始め、また、母親に憧れてガラス制作をする。模倣の連鎖が描かれるが、一貫してヨルシカ(正確にはそのコンポーザーであり小説を書いたn-buna)は模倣を肯定的に扱っている。

 『盗作』以前にヨルシカがつくったエルマとエイミーの物語でも、誰かに憧れて模倣者になることは肯定されていた。「あんなふうになりたい」と思わせる作品「体験」こそが本物であり、売れているかどうか、そのミュージシャンが不倫しているかといった「情報」は作品の価値とは無関係である、というのがヨルシカの主張なのだ。

 『アルルカン』はそこまで極端な挑戦的態度は取らないが、模倣を美しい物語として回収する。ヨルシカは「芸術に商業的な価値は関係ない」というスタンスを取るが(とはいえ「食っていくための仕事」「家族のための仕事」は否定されない)、「銀行小説」である『半沢』は「目先の金銭的な欲望ではなく友情や人付き合いを選んだ先にこそ、より大きな金銭的な成果がある」という落としどころを用意する。

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