日本のマンガの最大の特徴は「余白の美」にあり 隠れた名作『よるくも』で堪能する

『よるくも』で漫画の「行間」を堪能する

 『よるくも』は、富裕層が暮らす「街」、貧しい者のエリアである「畑」、危険なスラム街「森」と、一生変わることのない経済格差で区別された世界が舞台だ。主人公・高岡キヨコは「畑」で安メシ屋・高岡飯店を営む明るく前向きで、気風がよく、庶民の味ともども客に愛されている娘だ。「うまいメシ」を楽しみに来る客を叱咤激励しながら生き生きとした毎日を送っている。

 そこにある日、人身売買や殺人が当たり前の「森」出身の青年、小辰(こたつ)が訪れる。小辰は感情と痛覚、人並みの知性を持たない。教え込まれた殺人術で命じられた汚れ仕事を淡々とこなす裏社会の暗殺者「よるくも」だった。最低限の言葉しか理解できず、おとなしい小辰に、安くてうまいメシを食べさせて面倒をみる何も知らないキヨコ。その小辰との出会いから運命はゴロゴロと下降していく。

 孤独と絶望に囚われ、まともな判断がつかなくなるキヨコと「街」「畑」「森」の人間の関わりの物語は、壮絶にも関わらず、なんとも静かに描かれている。

 「絶望的なまでに無垢」。これは第1巻の帯に書かれているコピーだ。明るくて、悲惨で、残酷で、優しくて、切ないストーリーを、丁寧に書き込んだ描写と淡々としたコマ割りで語っていく。特筆すべきなのは、説明的なセリフを言わせるような陳腐さを排し、ト書きすら皆無という徹底した「削ぎ落とし」をしてもなお、胸に迫る物語を描ききっていることだ。「絶望的なまでに無垢」とキヨコと小辰を言い当てているのは、マンガが持ち得る要素を最低限に絞っているからこそ浮き上がってくるコピーだと納得する。

 では、そうした作風にあるものは何かと問われれば「行間」だ。描かれていること以上の感性を呼び起こし、しっかりとした手応えと読後感をもたらしてくれるのは、物語の裏に流れる行間が、読者それぞれの琴線にふれるからなのだ。10人いれば、10通りにこの作品の面白さを感じるだろう。大英博物館では、日本人は行間を読むのが上手だと言われた。まさに、行間を読むという日本的な読書法があってこそ楽しめる作品だと言える。

 行間を読むということは、じつに個人的で自由な贅沢さを与えてくれるものだ。だから私はこの『よるくも』はマンガであると同時に、文学なのではないだろうかと思っている。一読目はストーリーに没頭してしまうだろうが、二度目に読むと、もっと訴えてくるものがある。

 この世界観は決して万人受けではないと思う。しかし、純粋であるがゆえに他者の色に染まりつつ、他方で純粋すぎるゆえに自分の色から抜け出せない、というなんとも複雑で重厚な心象と魂のもがきを描き、その読み応えは心地の良い重さがある。手軽に読める作品を手に取りやすい毎日であるが、そんなときこそこの作品を読んでもらいたい。読者が行間を読むことでより深みが増すという作品は、物語に没頭する楽しさとともに、マンガという表現がいかに豊かであるかを気づかせてくれるはずだ。

■西野由季子(にしの・ゆきこ)
編集者、ライター。NPO法人HON.jpファウンダー(元理事)。「日本のインディーズ漫画をフランスにて電書で販売」 プロジェクトを実践中。サブカルから軍事、 グルメまで幅広いジャンルで書籍を担当。近年は漫画・ アニメの取材執筆多数。

■書籍情報
『よるくも』(IKKI COMIX)5巻完結
著者:漆原ミチ
出版社:小学館
小学館eコミックストア

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