高橋留美子のターニングポイントは「人魚シリーズ」だったーー名作『犬夜叉』へと連なる新たな作風

高橋留美子が問いかける人間の生と業

 高橋留美子『犬夜叉』は国内外でもファンが多い。今秋にはその続編となる、犬夜叉の娘を主人公とした『半妖の夜叉姫』のアニメ化放映が決定し、注目を集めている。『犬夜叉』の人気もさることながら、高橋留美子の代表作といえば『うる星やつら』『めぞん一刻』『らんま1/2』といったラブコメ作品が世間的な認識かと思われる。

 しかし、私のベストは「人魚シリーズ」と総称される短編集『人魚の森』『人魚の傷』『夜叉の瞳』だ。コメディー色を排し、シリアスに人間の生と業を描いたこのシリーズは、ラブコメの女王と呼ばれていた高橋留美子の天才ぶりをあらためて確信させるものだ。

 「不老長寿」の秘薬と伝承されている人魚の肉を偶然手に入れ、冗談半分で食べた漁師・湧太(ゆうた)は、謂れのとおり、老いることなく500年も生きている。怪我をしてもあっという間に治り、殺されても半日で生き返る。出会った人々との死別を何度も経るうちに、その虚しさと寂しさに苛まれて孤独な人生を歩んでいた。その長い人生の途中に、真魚(まな)という同じく人魚の肉を食べた少女と出会い、ともに旅をすることになる。

 人魚の肉は猛毒でもあり、おおよその人間は食らうと死ぬか、「なりそこない」と呼ばれるバケモノになる。不老長寿を渇望して手段を選ばずに人魚の肉を探す者たち、人魚の肉を食べて不老長寿になった人間を自らのために食べようと探す人魚。食うか食われるかの命がけの戦いが繰り返されるなか、普通の人間に戻りたいがために謎を解く鍵となる生きた人魚との出会いを求めて旅を続ける湧太と真魚が、人魚にまつわる事象と交差する物語だ。

 日常を舞台にギャグを盛り込んだ『めぞん一刻』などの一連の作品を描きつつも、人間の深淵を覗かせる世界を創作しているのは、高橋留美子の作家性がいかに多面的であるかをあらわしている。

 「人魚シリーズ」は誤解されがちだが「不老不死」の物語ではない。人魚の肉を食べた者は首を落とされれば絶命する「不老長寿」なのだ。作中でも「不老不死」との言葉は一度も出てこない。私はこれに作者の強い意図が反映されていると感じた。

 交わりを持った人々は皆、死を迎えることができる。それは湧太たちが願う普通の人間としての生き方だ。人魚に会えばわかるという人間に戻る術を求めて旅を続ける物語だが、「不老長寿」は「不死」ではない。そこに、死ねない彼らが救われる一途の光を残している優しさこそが、じつに高橋留美子らしいと思うのだ。

 この「人魚シリーズ」での手応えが、以降の作品である『犬夜叉』や『境界のRINNE』など、特異な能力・属性を持つ者を主人公とした作品群の原点になっているのは間違いない。まさに鉄板であるラブコメ路線からのターニングポイント、新たな作風の確立がこの「人魚シリーズ」なのだ。

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