映画の下着シーンには様々な物語があるーー後藤由紀子の『ランジェリー・イン・シネマ』評
愛しい日々の読書
ピーチ・ジョンのカルチャーサイト『momo Life』(現在は閉鎖)でコラムニスト山崎まどかさんとイラストレーターおおやまゆりこさんの連載『ランジェリー・イン・シネマ』。下着から映画を読み解くという面白い切り口です。
象徴的な精神分析医の言葉
タイトル・イラスト・本文2ページという潔さで50本余りの作品を取り上げていて、読み応えがあります。本書は精神分析医ウジェニー・ルモワーヌ・ルッチオーニの言葉から始まります。
「女性はランジェリーを着る・男はただ下着を身につけるだけ」(「はじめに」より)
確かにそうだなーと思いました。ユニセックスの時代でも、この分野に関しては男女意識が全く違うと思います。様々な時代の映画を紹介されているのですが、きっといつの時代もランジェリーに対する根本的なスタンスは、そこまで大差はないのかなーと思いながら読み進めました。
なかには実際に観た映画、タイトルしか知らないもの、初めて聞くタイトル、ずっと前に見たけれど内容がうろ覚えの作品などいろいろありました。この本をガイドに映画作品を選ぶのも楽しいかなと思いました。
いつか観た『つぐない』のセシーリアとロビーの美しかったことを思い出しました。本文にもありますが噴水に上がっているシーンは、
「まるでヌードのようですが、濡れた下着がセシーリアの白い肌に吸いつく様子は、本当の裸よりも官能的でした」(『つぐない』より)
「007」のボンド・ガールもそうそうたるメンバーですが、そのなかで『007/スカイフォール』のペレニス・マルローをセレクトするあたりは女性目線かと思います。そしてこちらにも最後に興味深い見解があります。
「ボンド・ガールはガウンを脱いでヌードにならなくても、いや、むしろならない方がセクシーな女優がふさわしいのかもしれません」(『007/スカイフォール』より)
男性からのご意見はどうなんでしょうね。「チェ、チェ、チェ、チェ、チェ、チェリーボンブ!」でおなじみの『ランナウェイズ』はコルセットビスチェにガーターベルト。こちらは今ではステージ衣装に近いアイテムのような気がします。マドンナやコートニー・ラヴにつながります。
『17歳の肖像』の“教科書だけで人生は学べない”というフレーズが印象的でした。少女から大人にみるみるうちに変化していく一番美しいときですね。そんな時期に大人のエッセンスを加えるのがランジェリーや香りなのかもと思います。
映画のほかにコラムが5つ入っています。コラム2の「フランス映画のヒロインの下着」。これは興味深く読みました。私はダイナミックでカーチェイスやドンパチのあるアクションの大味なイメージよりも、じわじわと心情にくるヒューマンドラマやラブストーリーが好きで、20代の頃もフランスはじめいろんな映画を次々と観ていました。
エリック・ロメールはとりわけ好きな監督で、静かな描写で女性をとても美しく撮られます。この本にも好きな作品がいくつか取り上げられていましたが、ランジェリーという視線で当時観ていなかったので、見方を変えるだけで作品は膨らむというのは面白いなーと思いました。
「コラム4」の最後にこうあります。
「読んでいる人が個人的な喜びを見つけられるといいなと願っています」(『私が考える映画の中のランジェリーについて』より)
このコロナ過で家時間を楽しむことが重視されてきました。誰に見せるわけでもない家の中を、居心地よくさせるのは自分次第です。どんな部屋にしつらえ、どんな食事をし、どんな楽しみを見つけるか、自分のご機嫌は自分で取る時代になりました。
少し前まで外へ外へと目が向いていたのが、内側へ変わりつつあります。そんななかで、身につける部屋着やランジェリーの需要も高まっているのではないかなと感じます。秘めたる、もっともプライベートな分野ですね。
私が考えるランジェリー・イン・シネマをひとつ上げるとしたなら『男と女』。モンテカルロラリーに祝電を打ったアンヌに会うため、車を走らせるジャン・ルイ。その後ベットの上で切ない表情でタバコに火をつけるアンヌが身に纏っていた黒いスリップ姿がパッと脳裏に浮かびました。
みなさんも自分なりのランジェリー・イン・シネマを上げてみるのも楽しいかと思います。