『僕のヒーローアカデミア』デクとオールマイトは日米関係を照らし出すーー多角的な批評性を考察
王道の少年漫画にアメコミ風味を加えた『ヒロアカ』
『ヒロアカ』は、「誰もがヒーローになれる」社会を更に一歩推し進めた設定を持った作品だ。「心の中にヒーローはいる」どころではない、世界の8割の人間が特殊能力に目覚めている世界なのだ。そんな世界にあって、主人公のデクは特殊能力を持たないキャラクターであり、そんな彼がNo.1ヒーロー、オールマイトから力を譲渡されるところから始まる。
本作の特徴は、このオールマイトのキャラクターデザインがアメコミ風の陰影深いデザインで、他のキャラクターとは一線を画している点だ。他にも相棒をサイドキックと呼んだり、悪党をヴィランと呼ぶなどアメコミ要素が随所にちりばめられている。「SMASH」など英語の擬音を時折使うのもアメコミからの引用だ。
作者の堀越耕平氏がアメコミを好きなったきっかけは、2002年のサム・ライミ監督『スパイダーマン』だそうだが、主人公のデクが冴えない少年でオタク気質である点は、ピーター・パーカーとも似ているかもしれない。
しかし、『ヒロアカ』はただのアメコミの模造品ではなく、日本漫画の意匠もふんだんに取り入れた作品だ。落ちこぼれの少年が学校で仲間たちと切磋琢磨する物語の構造は『NARUTO』と共通しているし、様々な特殊能力のあり方は『ONE PIECE』の悪魔の実を連想させる。何より、友情・努力・勝利を基調としたジャンプの王道展開をてらいなく描く姿勢を貫いており、その根幹はやはり日本の少年漫画なのである。
日米関係と『ヒロアカ』とアメコミ
本作のアニメ版を監督している長崎健司監督は、『ヒロアカ』について「ジャンプ王道でありながら、どこか新しい」と語っている(https://heroaca.com/special/interview.html)。その本作の新しさについて堀越氏自身も自覚的ではないようだ。
日本の漫画にアメコミの意匠を持ち込んだこと自体は新しくない。アメコミに大きく影響を受けた作家は過去のジャンプ作家にもいる。桂正和の『ウイングマン』がまず挙げられるし、意外性という点では、時代劇でありながらアメコミテイストを取り入れた和月伸宏の『るろうに剣心』の方に軍配が上がるだろう。
おそらく、『ヒロアカ』の新しさとは表面的な意匠ではなく、本作が知らずのうちに獲得した、現代社会への、とりわけ日本とアメリカの関係に対する批評的な視座にあると筆者は考えている。
前述した横山氏は、本作のアメコミスタイルのオールマイトと日本人の主人公デクの関係性は戦後の日米関係の寓意であると言う。
「『ヒロアカ』の設定は下記のようになります。現代の日本は、最強のスーパーヒーローであるアメリカ的存在、オールマイトに守られていたが、その力が衰えを見せ始める。出久は、戦闘能力を持たなかったが、オールマイトによってO(ワン・)F(フォー・)A(オール)を与えられる。彼は自身には強大すぎる力をなんとか制御し、それを自身の力として昇華していく――この作品世界と出久とオールマイトの関係が、戦後の日本とアメリカの寓意として読めることは明らかでしょう」(https://school.genron.co.jp/works/critics/2015/students/yokoyama/703/)
オールマイトのデザインが異質であることも重要だが、それ以上に彼の物語中での役割がここでは重要だ。オールマイトは人気・実力ともにNo.1のヒーローで、この世界の治安維持の象徴的な存在である。犯罪抑止力として立ち回り、悪を成敗する。国民は彼を支持するだけで良い。オールマイトは何があっても市民を守ってくれる存在である。その態度は、戦後、何があってもアメリカの核の傘に守られてきた日本と奇妙にも共通している。
しかし、アメリカとてその力は永遠ではない。世界中で多くの国が経済発展を遂げ、中国などは経済力でアメリカと肩を並べる存在にまで上り詰めてきた。国内の分断が進むアメリカは世界の勢力図の中でこれまでのような圧倒的な存在感を保持できなくなるかもしれない。オールマイトが力を保持できなくなっていくように。
『ヒロアカ』では、オールマイトが遂に因縁の相手と相まみえ、力を使い果たし引退することになり、それぞれのヒーローたちが今後どうしていくべきなのかを模索する姿が描かれている。オールマイトは偉大だった。しかし、彼にはもう頼れない。そもそも、彼の巨大な力によって犯罪を抑止するやり方では悪は根絶できなかった。新しい社会秩序を模索しなければいけなくなった現在の『ヒロアカ』ではヴィラン連合も力を増し、より混沌としてきている。それは、従来の世界の警察的なアメリカのやり方が通用しづらくなった世界情勢と偶然にも似ているとも言えないだろうか。
日本もまたいつまでもアメリカに頼れない。対米従属からいかに抜け出るかは前後の日本外交の大問題であり続け、いまなおあがき続けている。デクがオールマイトから授かった力はフルに用いると自身の肉体を傷つけてしまう。デクがその制御に苦しみながらも自分なりのオリジナルの戦い方を模索してゆく姿は、アメリカの政治的・軍事的影響からいかに自立してくかを模索する日本の姿と重なる。現実の日本はデクほど上手くいっていないが。
日米関係は、それは政治的・軍事的な文脈にとどまらず、文化的な面でも同じことが言える。漫画は日本の代表的文化に上り詰めたが、その父、手塚治虫はディズニーへの憧れを強く持ち影響されてきた。その強い影響からいかに距離を取り、オリジナリティを築くのか腐心し、日本独自の漫画表現を高めてきた。手塚以降の漫画家たちもその延長線上にあるとすれば、堀越氏のアメコミからの影響と、そこからいかに距離を取り独自性を獲得するかの試みも手塚以降、日本の漫画が抱え続けてきた命題なのではないだろうか。