母親が気に入らない相手と結婚しても、幸せにはなれない? 『婚活迷子、お助けします。』第十一話

『婚活迷子、お助けします。』第十一話

婚活迷子、お助けします。 仲人・結城華音の縁結び手帳

お母さまの幸せではなく、志津子さんの幸せを見つけるお手伝いがしたいんです

「俺ねー、クラブで働いていたとき、いっぱい見てきたんだ。酔っぱらってくだ巻く女の人たち。理由はいろいろあるよ? 仕事がしんどいとか、姑がむかつくとか、夫が浮気したとか。吐き出すだけ吐き出して、明日の活力にする人もいれば、自家中毒みたいにぐるぐるいつもおんなじとこまわってる人もいる。そういう抜け出せない人ってさ、誰かに何とかしてもらえるのを待ってることが多いんだよね。あるいは自分が何もしなくても状況が変わるのを。明日になったら上司が自分を認めてくれるかもしれない、姑が感謝してくれるかも、夫が浮気をやめてくれるかも、ってさ、ずーっと相手に期待してんの」

 でもさ、と陽彩はとびきり甘い笑みを志津子に向けた。

「変わるわけないよね。自分だって、簡単に変われないのに」

 志津子は、スカートのすそを握った。

「明日になっても、あさってになっても、志津子さんのお母さんは、志津子さんを手放しで褒めたりしないよ」

 すうっと、頭の芯が冷えていく。

「お母さんが正しいか間違ってるか、じゃない。お母さんはそういう人なんだよ。志津子さんが苦にならないならずっと一緒にいればいいと思うけど、少しでもそうじゃないって気持ちがあるなら、俺は抜け出したほうがいいと思うな。相手は田中さんじゃなくていいし、結婚だってする必要ないけど、でも」

「高橋!」

 先ほどまでのじゃれあいの延長、ではなくて、本気の怒りを孕んだ声が、するどく飛んだ。華音は表情をなくしたまま、目だけで陽彩を睨み据えた。

「分をわきまえなさい。……申し訳ありません、志津子さん。高橋が、出過ぎたことを」

 深々と頭を下げた華音に、志津子は縦だか横だかわからないまま、首を振った。陽彩の言うとおりだと思ったから、大丈夫です、と言おうとしたのに、言葉が喉につっかえて出てこない。痛いところを突かれたからなのか、陽彩の無礼に怒りがわいているからなのか、それさえもわからない。けれど。

 ――誰かに何とかしてもらえるのを待ってる。

 自分がそちら側の人間だということくらいは、理解できた。このままブルーバードをやめて、結婚できなくなっても、母の決めた相手と結婚しても、いずれ壁にぶちあたったときに「自分のせいじゃない」と逃げる姿も、想像できた。

「……今日は、帰ります」

 かろうじて、それだけを告げて、立ち上がる。

「退会については、もう少しちゃんと、考えてみます。……母の言うとおりに、したいのかどうかも」

 そうですね、と華音はうなずいた。紀里谷も陽彩も、それ以上は何も言わなかった。

 逃げるように帰ろうとする志津子を、華音だけがビルの下まで送ってくれる。そして、じゃあ、と気まずさを残して去ろうとした志津子に、もう一度、申し訳ありませんでしたと、太ももに額がつくほど深く頭を下げた。

「結城さんは、何も悪くないです」

 志津子は言った。それだけは、確信をもって、強く言えた。華音は、そんな志津子をまたも泣き出しそうな顔で見つめると、しばしの逡巡のあと、ぽつりとつぶやいた。

「……何度か、見送ったことがあるんです」

「え?」

「親御さんの反対にあって、退会していく会員さまのうしろ姿を何度も見送った話を、所長から聞いたことがあります」

 陽彩を叱った口で言うべきかどうか、迷うような口ぶりで、けれど華音は続ける。

「いつもの所長なら、……というかこれまでは、お母さまとのお話をふまえて、どうすべきかを話し合ったと思うんです。でもそうじゃなくて……あんなふうに強引に、田中さまのお話を振ったのは、同じことを繰り返したくなかったからなんじゃないかと思います」

「……同じこと」

「本当は結婚したいのに、親御さんを慮って諦めてしまう会員さまを見たくない。……私たちのエゴだってことは、わかっています。でも、私たちはすべての会員さまに、幸せになっていただきたい。お母さまの幸せではなく、志津子さんの幸せを見つけるお手伝いがしたいんです」

 母ではなく、志津子の気持ちはどこにあるのか。それは何度となく、華音から問われてきたことだった。だが、今日ほどまっすぐ、華音が志津子を見据えてきたことはなかった。

 ブルーバードを選んだ自分は慧眼だったな、と思う。みんな、とてもいい人たちだ。仕事とはいえ、赤の他人の志津子のために、これほど親身になってくれるなんて。

 けれど一方で、素直にありがたいと思うには、志津子は混乱しすぎていたし、疲れていた。そうですか、と力なくうなずくと、今度はやや浅めに華音は頭を下げた。

「身勝手な仲人ばかりですみません。……田中さまのほうからご連絡があれば、すぐにお伝えしますね」

「……よろしくお願いします」

 来ないでしょう、と思いながら、それでももしかしたら幸次郎なら、と期待している自分がいることに志津子は気づいていた。好きになった、わけじゃない。何度か会ったら、幻滅するかもしれない。だけど、このまま気持ちが育っていくかもしれない。そんな期待を抱かせてくれる婚活相手に出会ったのは初めてで、軽い執着が生まれているのも事実だった。

「終わったの?」

 神楽坂を飯田橋の駅に向かって降りる途中、とうに帰ったはずの母が道端に立っているのを見つけた。路面に開け放たれたカウンターで何かを買っていたらしい。「あなたこれ好きだったでしょう」と母が指し示したのは、置かれた石焼窯に入った焼き芋だった。ただ焼いただけなのに、蜜がこぼれるような甘さで、初めて食べたときは夢中になった。覚えていてくれたのだ、と胸が熱くなって、泣きそうになる。

 会計を済ませた母と、肩を並べて歩く。何か話すべきだろうかと母をうかがうと、凛とした横顔の美しさにやはり呑まれてしまい、言葉が出てこなくなる。かろうじて、解約には判子がいるから今度持っていくよ、と伝えた。退会するかどうか、はっきり決めたわけではないけれど、退会すると疑っていない母に言えることは他になかった。母は、そう、と静かな溜息を漏らす。

「……お母さんね、ちょっと考えたの」

 そして、やや和らいだ声で言った。

「今は、お母さんのときと時代が違うのよね。もしかしたら、あなたには古い価値観を押しつけすぎていたのかもしれない」

 思いがけない言葉に、志津子は目を見開いた。母の横顔は、穏やかだ。そこには怒りも呆れもない。まさかこんな短い時間で考え直してくれたのか、と一瞬、期待で胸が弾んだ。

――が。

「無理に相手を探すから、ああいう人ともお見合いする羽目になるのよ。でもね、結婚なんてしなくても幸せになれる。お兄ちゃんもお姉ちゃんも、あっさり結婚したから、それが当たり前だと思っていたけど、あなたは手に職をつけて立派に働いているんだし、結婚しなくたって大丈夫。そうでしょう?」

 志津子は言葉を失った。

 ――なにを、言っているの?

 あんなに、ちゃんとした相手を探せと言っていたのに? 見つけてこられない志津子がだめだと、溜息ばかりついていたのに? ……第一、志津子は、幸次郎と無理にお見合いなんてしていない。今日だって、自分から望んだのだ。幸次郎がどんな人かもっと知りたくて、また会いたいと思っただけなのに。

 ――変わるわけない。

 陽彩の言葉が、こだまする。

 そして、ああそうか、と合点した。気に食わない相手と結婚されるくらいなら、仕事に生きる娘として独身を貫いてくれるほうがましだと、母は結論づけたのだと。理解したとたん、大声で笑いたくなった。同時に、わんわん声をあげて泣きたくなった。手に職をつけて立派に働いている。そんなふうに母が志津子の仕事を褒めてくれたのは初めてだけど、こんな形で言われたかったわけではない。

 案じている。心の底から、志津子を思いやっている。その愛情を、疑ってはいない。けれど、根本的に何かが決定的に食い違っているのだと、志津子はようやく思い知る。

 ――変われない。私も、お母さんも、きっと。

 だとしたら。

 このすれ違いが死ぬまで続くのだとしたら。

 そうだね、と志津子が答えると、母はぱっと表情を明るくした。母も、待っている間にさんざん考えたのだろう。どうしたら志津子を理解してやれるのか、どうすることが志津子の幸せなのか、反省もしながら必死で考えたに違いない。それがわかっているから、もう何も言えなかった。

「それ、持つよ」

 焼き芋の入った袋を受けとると、重みと一緒にほかほかと甘い匂いが香る。だけど、ブルーバードでゼラニウムを嗅いだときみたいに、志津子の呼吸を楽にしてはくれなかった。かわりに、志津子のために焼き芋を買ってくれる母の優しさと、志津子の望みを受け止めきれない母の拒絶がかわるがわるに身に沁みて、胸がつまって、苦しくなる。

(イラスト=野々愛/編集=稲子美砂)

※本連載は、結婚相談所「結婚物語。」のブログ、および、ブログをまとめた書籍『夢を見続けておわる人、妥協を余儀なくされる人、「最高の相手」を手に入れる人。“私”がプロポーズされない5つの理由』などを参考にしております。

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『夢を見続けておわる人、妥協を余儀なくされる人、「最高の相手」を手に入れる人。“私”がプロポーズされない5つの理由』

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