葛西純が明かす、結婚秘話と大日本プロレスとのすれ違い 葛西純自伝『狂猿』第8回

葛西純自伝第8回 大日本プロレスとのすれ違い

デスマッチファイター葛西純自伝『狂猿』

客の反応と会社の反応の違い


 例えば、2001年2月24日後楽園ホールの『CZWスタイル・フィラデルフィア・バナナマッチ』。自分的には、これはねぇだろっていうぐらいのショッパい試合だったんだけど、お客さんは喜んでくれて、『週プロ』がカラー3ページで取り上げてくれていた。ちょっと違和感を感じていたけど、だったらもっとやってやろうと、新たなデスマッチをどんどん仕掛けていった。松永さんとやった「画鋲裸足&CZWカリビアンスタイル有刺鉄線デスマッチ」とか、ザンディグと「ガラス&ボブワイヤーボード CZWスタイル キング&バナナマッチ」をやったりね。団体のプッシュっていうのはまるっきりなくて、対戦相手が考えた試合形式に便乗する形でいかに自分が目立てるかを考え、自分のプロデュース力だけでのし上がっていった時期だった。

 この頃には本間さんはもうランナウェイしてたし、山川さんは博多で頭蓋骨骨折の大怪我をして欠場してしまっていたから、自分でいうのもなんだけど、大日本プロレスといえば葛西純というぐらいの存在感はあったと思う。

 でも、会社からはそんなに評価されていなかった。当時の大日本プロレスは、MEN’Sテイオーさんの意見が強かったんだけど、テイオーさんは俺っちのことを「コミカルで客にウケることをやってるけど、レスリングに関してはダメ」って思ってたんじゃないかな。俺っちの味方はザンディグくらいで、「カサイはあれだけ試合でファンを沸かしてるのに評価が低すぎる」って、会社に言ってくれていた。それにザンディグ自身も、CZWも扱いが悪いと感じていたみたいで、2001年の秋ぐらいから、大日本プロレスとザンディグの間で意見の食い違いみたいなのが出てきていた。ザンディグはもっと好きにやらせてくれと訴えても、会社からしてみたら、いやいやお前らウチらが呼んでるだけのガイジンだろ、みたいなところがあったんだと思う。

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