『ランウェイで笑って』は新しい価値観を提示する 「身の丈」からの解放
「身の丈」という慣用句がある。身長、背丈を表す言葉だ。「身の丈に合う」言えば衣服が背丈にぴったりとフィットした様を表す。転じて「分相応」という意味で用いられる。身の丈にあった生活、身の丈にあった仕事、身の丈にあった夢……。自分の実力、器量、経済力、才能、身体能力などなど、自分の能力に応じた行動をせよというときに使う言葉だ。
しかし、そんなことを誰が決めるのか。貧乏人は夢を見てはいけないのか、高身長だからといってモデルにならなければいけないのか、低身長だからモデルの夢を諦めなければいけないのか。猪ノ谷言葉の漫画『ランウェイで笑って』は、そんな様々な「身の丈」の壁を打ち破る物語だ。
本作の舞台は、まさに身の丈がものを言うファッション業界。デザイナーを目指す貧しい家庭の長男、都村育人と、低身長でパリコレのモデルになる夢を追う藤戸千雪の2人を中心に、登場人物たちが様々な「身の丈」の困難を乗り越えていく様を描いている。ジェンダーや体型に規範が最も厳しい業界の一つであるファッション業界において、それら既存の価値観を変えるのも、「デザイン」であると本作は訴えている。
服は人を変えられる
主人公の都村育人は、母子家庭の4人兄妹の長男。小さいときから服を作って家族を喜ばせることが大好きだった彼は、ファッションデザイナーになることを夢見ているが、家庭環境がそれを許さない。優秀な妹たちに望み通りの進路に進ませてやりたいと願う彼は、自分の夢を殺して、卒業後は就職しようとしているが、低身長にもかかわらずパリコレのランウェイで歩くことを夢見る同級生の藤戸千雪と出会い、デザイナーへの夢を捨てずに追いかけることを決意する。
育人に立ちはだかる「身の丈」は経済力だ。貧しさ故に、学費の高い服飾関係の学校への進学を諦めている彼は、幼い頃から服を作り続けて培ったセンスと能力で、新進気鋭のデザイナー柳田一のアシスタントの職を得る。
対してヒロインの千雪は、夢を叶えるためには文字通り身の丈が足りない。幼いことからモデルに憧れ、ウォーキングのスキルも高く、プロポーション自体は素晴らしいが、絶対的に身長が足りず、モデルは諦めろと何度も諭される。しかし、彼女は一度たりとも諦めない。そんな彼女が、育人に「私が一番魅力的に着れる服を作って」と頼み込むことから、2人の人生が大きく変わり始める。彼女の身長でも輝けるその服を着て、千雪はモデル事務所のオーディションに合格する。
「服は人を変えられる」と育人は言う。本作の物語はその言葉どおりに、服が人に自信を与えるところから始まるのだ。
デザインは世界を変えられる
仕事を通じて育人は、デザインとは、デザイナーとは何かを学んでゆく。単純に格好いい服を作るだけがデザイナーの仕事ではない、デザインとは世の中の価値観を揺さぶることなのだということを彼は学ぶ。
ストライプ(縦縞)は元々、囚人服のデザインだったと作中で言及される。不自由で忌むべき存在の囚人服の象徴だったストライプは、今日では誰もがそんなことを気にせず着ることができる。労働服だったデニムも、今では定番アイテムとなったし、女性のスーツにパンツスタイルを導入したのも、全ては既存の価値観にとらわれないデザイナーがいたからだと本作は描いている。
ファッションの世界には「モード」と「リアルクローズ」がある。パリコレなどで、普段着られないような奇抜な衣装を目にしたことがあるだろう。それは誰が着るのか、ただのデザイナーの自己満足に過ぎないではないかと思うかもしれない。しかし、そうではない。あれらは全て、既存の価値観を揺さぶろうという試みなのだ。
作中、「モード」と「リアルクローズ」の違いはこのように説明される。
「いわゆる普段私たちがきている服のことを、"リアルクローズ"という。意味は"現実的な"、"日常的な"、"普遍的な"。
それに相対するのがモード。意味は"非現実的な"、"自由な"、"夢のある"。全ては自由な発想の"モード"から生まれて"リアルクローズ"に降りてゆく」
モードは新しい価値を生む。それを見つける義務がデザイナーにはあると柳田は言う。貧しい家庭で育ったせいか、手元にある限りある資材で服を作ることに慣れている育人は、その言葉を聞いて本当のデザイナーへと成長していく。
服にはメンズとレディースという明確なジェンダーによる区分けがある。性の多様化が議論される昨今、ユニセックスのファッションが盛り上がっていて、それは本作の世界にも反映されている。柳田の重要なファッションショーのパタンナーに抜擢された育人は、デザイナーの意図を誰よりも深く汲み取り、ジェンダーの垣根だけではなく、人種、年齢、宗教や思想、体型、全ての壁を破り、誰もが自由に着られる服を作って見せる。
そして、育人は気づくのだ。既存の価値観の中で服を作り続けたら、背の高いモデルを使うしかない、ならば、新しい価値観を生み出し、それを世界に知らしめることができたなら、背の低いモデルが輝く世界を作れるのだと。「服は人を変えられる」ことから始まるこの物語は、巻数を重ねて「デザインは世界を変えられる」ことを描くようになっていくのだ。