『ランウェイで笑って』は“持たざる者”の反逆・反抗の物語だ 2020年代的「マガジン」らしさを考察
『週刊少年マガジン』連載、2020年1月からTVアニメが放映中の猪ノ谷言葉『ランウェイで笑って』は、モードの服飾デザインを志す貧乏少年と、低身長ながらパリコレモデルを目指す少女が同じ高校で出会い、業界の常識と戦いながら夢に向けて歩んでいく物語だ。
「好きなことして生きていく」は“持たざる者”に可能か?
「好きなことして生きていく」というYouTubeの広告コピーがあったが、実際好きなことをして生きていけるかどうかには、その人の意志や努力だけでなく、本人の才能、家庭環境、経済状態などに左右される面もある。
『ランウェイでわらって』に登場する人物たちはみな「好きなことして生きていく」をめざす。ただしそれぞれが「本人の意志や努力ではどうにもならない初期条件」を背負った“持たざる者”である。それでも彼らは夢に向かってどうにか壁を乗り越えようともがく。
ファッションデザイナーとしての才能があっても、進学するためのお金がない都村育人。お金とコネはあっても、デザイナーとしての才能がない佐久間美依。モデルとしての才能はあるが、身体的なスペックが絶対的に足りない藤戸千雪。デザイナーとしての才能があっても、知名度と愛想がない柳田一。才能はあるが、親族が著名すぎて何をしても七光りのおかげと見られる綾野遠。圧倒的にモデル向きの身体を持つが、デザイナーになりたいと願う長谷川心……。
こんな彼らが、やりたいこととできること、向いていることとのあいだで葛藤し、人生をどう選択するか、どう生きるかを描いていく。
今の日本の若者は「内向き」だとか「選択が保守的」などと上の世代からは言われる。そういう社会の空気があるなかで、本作は「○○だったからしょうがないよ」と言い訳できるようなビハインドがある人間たちが、それでも言い訳せずに高みを目指す姿を描く。そうやって読者の背中を押す作品だ。
『ランウェイ』の現代性とは?
ファッションで他人と差を付けることがよしとされる考えが薄れてきた時代に、あえて服飾デザイン、それももっとも逆風が吹いているであろうモードの世界を描いているのが挑戦的である。
多くの読者に身近であり、変化が激しいリアルクローズ(日常的に着る服、下々の民の世界)の世界を舞台に「あえて」選ばなかったのだろう。
安易な“現代風”のストーリーであれば「SNSでバズって有名になって勝つ」という手法がいくらでも通用するが、ハイファッションの世界ではそのやり方はそんなに通用しない。ただ、そうしたテクノロジーや世相の変化とまったくの無関係でもいられないという微妙な距離感にある場所を、本作は舞台に選ぶ。
ハイファッションの世界はおおよそアングロサクソンの常識、ヨーロッパの上流階級の白人の価値観によってつくられてきた。モデルとしては圧倒的に不適格な低身長であるにもかかわらず「パリコレにモデルとして立つ」ことを目標とする千雪と、そのとき彼女の服をデザインする人間になりたいと願う育人というふたりの主人公が目指すゴールは、言ってみればそうした20世紀的な常識と価値観を転覆することとイコールである。
作中で小出しに描かれているが、本作に登場するデザイナーたちが描こうとしているテーマのひとつに「ユニセックス、ジェンダーフリーのさらに先とは?」というものがあり、それを日本人が示す、という構図になっている。
つまりアジア人、低身長、社交界の常識もなければ教養もない、カネもしょぼいし文化資本もしょぼい人間がいかにしてヨーロッパ的な価値観の総本山、ハイファッションの本拠地で勝つか? 本作の最終的な到達点はそこにある。それは「みんな違ってみんないい」というヌルい多様性の肯定ではない。
今まで「こういうものが良く、こういうものはダメ」という基準を規定してきた人間たちに対して、こちらの示すものの価値をいかに認めさせるかを描いていくか、という反逆・反抗の物語なのだ。だからエモい。