『アクタージュ act-age』が見出した“表現の哲学” メソッド演技と作品の進化を考察

『アクタージュ』は表現の本質を描く

 先日、『週刊少年ジャンプ』(集英社)での連載が二周年を突破した『アクタージュ act-age』は、マツキタツヤ(原作)と宇佐崎しろ(漫画)による演技を題材にした漫画であると同時に優れた表現論である。本作は、高校生の夜凪景(よなぎ けい)が映画監督の黒山隅字(くろやま すみじ)に才能を見いだされ、様々な俳優、演出家と対峙する中で俳優として成長していく物語だ。

 もっとも重要なキーワードはscene1.(第1話)で「その役柄を演じるためにその感情と呼応する自らの過去を追体験する演技法」と語られるメソッド演技だろう。夜凪はこのメソッド演技を(父と母のいない苦しい現実から逃避するために)無自覚なまま身につけていた。

 大手芸能事務所・スターズの社長で元・女優の星アリサは、メソッド演技を独学で極めた夜凪を「末恐ろしいわ」と評価するものの、オーディションでは落選させる。「どうして落とした?」と尋ねる黒山に対し「役者になることが」「あの子の幸せになるの?」と星は反論する。そして、「あの子の芝居は危険よ」「いずれ身を滅ぼすわ」「自分以外の誰かになる」「恐ろしい芸術だわ」「そんな異能に長けた人間を育てて彼女の人生に責任が取れるの?」と言う。(第1巻)

 星アリサは事務所の力でスター俳優を作り上げ、観客が望む華やかな姿を俳優たちに要求する。その結果、生まれたのが夜凪のライバルとなる百城千世子(ももしろ ちよこ)だ。千世子は夜凪とは真逆の女優で「研鑽された技術と戦略で作り上げられた“スターズの天使”」だと劇中で語られる。

 物語は大衆に求められる華やかな理想像(スター)を戦略的に演じる千世子と、演技を通して自分の内なる感情を開放しようとする夜凪の(演技を通した)戦いとなっていくのだが、夜凪と共演して以降、千世子の演技もまた、内なる感情を引き出すメソッド演技へと変わっていく。

 夜凪と千世子の対比を見て『ガラスの仮面』(白泉社)の主人公・北島マヤとライバル・姫川亜弓の関係を思い出す人は少なくないだろう。

 美内すずえの『ガラスの仮面』は、演劇漫画のパイオニアとしてはもちろんのこと、少女漫画の古典と言える現代漫画の金字塔だが『アクタージュ』のキャラクター配置や物語の展開を見ていると『ガラスの仮面』からの影響を強く感じる。

 中でも強い影響を感じるのは、演じる演劇と俳優の現実がシンクロしていく虚実混合の展開だろう。『ガラスの仮面』も『アクタージュ』も、ヒロインが演じる役柄と彼女の感情と現実が重なり合っていくことで、物語のテンションを極限まで高めていく。

 つまり、物語構造自体がメソッド演技の手法と(虚実を融合させる)哲学によって作られているのだ。

 同時に『アクタージュ』は制作手法もまた、メソッド演技法に近しいものとなっているのではないかと思う。

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