『アクタージュ act-age』が見出した“表現の哲学” メソッド演技と作品の進化を考察
作画を担当する宇佐崎ひろは現在22歳の若手漫画家。元々twitterにファンアートや漫画を投稿していたが、『週刊少年ジャンプ』の漫画賞「ストキンPro」で準キングを受賞した『阿佐ヶ谷芸術高校映像科へようこそ』の作画担当としてマツキタツヤに指名されたことで、19歳の時に漫画家デビューを果たした。
『阿佐ヶ谷~』は黒山が登場する『アクタージュ』の前日譚的な話なのだが、『アクタージュ』を読んでいると黒山墨字(演出家)と夜凪(俳優)の関係が、マツキと宇佐崎の関係に思えてくる。黒山の難題に答えることで、夜凪が役者として表現力を獲得していく姿をなぞるかのように、宇佐崎の絵は進化していく。
当初は夜凪こそ強烈な実在感を放っていたが、彼女を取り巻く背景の描写はスカスカでどこかぎこちなかった。それはそのまま夜凪の演技が、自分の感情しか表現できていない姿を思わせるのだが、巻が進むごとに背景も精密に書き込まれるようになっていき、キャラクターの表情や振る舞いも実在感が増していく。つまり夜凪の世界が広がっていく姿が、そのまま作画にも反映されているのだ。
同時に『アクタージュ』が興味深いのは、メソッド演技という手法が生み出す表現の魅力と危うさを描きながら「どうやって現実に戻ってくるのか」という帰還方法を描いていることだろう。劇中に登場する俳優・明神亜良也は演技を海中に潜ることに例えており、どれだけ深く潜っても「それを海上まで引っ張り上げないと演劇じゃ通用しないんだよ」(第4巻)と語る。黒山も『銀河鉄道の夜』の公演を終えた後、夜凪への仕事をすべて断り「自分の定義を増やせ」と言い「学校で役者じゃない普通の友達を作って来い」と命じる(第7巻)。
ひたすら潜るのではなく、演技と現実の往復。海上に潜った後、地上に引っ張り上げる力にこそ『アクタージュ』は、表現の本質を見出そうとする。これは「表現とは観客に伝わって、はじめて成立するものだ」と言い換えることも可能だろう。『週刊少年ジャンプ』という大メジャー漫画雑誌だからこそ出てきた、開かれた表現論である。
■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。