紗倉まな『春、死なん』で見せた小説家としての力量 名物書店員が読み解く
もうひとつの短編「ははばなれ」は、ヘアメイクを職業にしていた二十代後半のコヨミと、還暦を迎える母を中心とした話だ。冒頭、コヨミと夫、母三人で父の墓を参る所から物語が始まる。
コヨミと母の関係はドライで、少し重たいように感じられるかもしれないが、母を愛すべき身勝手なキャラクターとして描くことで、「春、死なん」とはまた違った女性の心理描写を読みこむことができ奥深い。
一方で男性キャラクターもいい。コヨミの夫や父、兄、そして突然現れる母の恋人。どこかちゃらんぽらんで、無自覚な失礼さがあり、登場人物達の関係性を崩している。
母が酔っ払って作った、口周りの傷をメイクによって隠しながらコヨミは、自分が産まれた時にできた、母の帝王切開の傷跡のことを思う。人間の性、子供を産むということ、家族それぞれの想い。軋むような違和感とともに、彼女の前に“家族の思い出”が現れる。傷跡をなぞるように過去を振り返っていく。
「春、死なん」の物語上では現在と過去が並走しているが、「ははばなれ」では反対にその二つが競争しているようにも思える。
「どこか誇らしく感じていたその仕事を、私は夫の希望であっさりと辞めてしまった。子供もいない。仕事もしていない。何もないからこそ、時に、何かしないといけないという気持ちが急かすように身体を撫で上げていく。しかしその感情は、最終的に現状維持へと緩やかに着地する。」
今歩んでいる道が、正しい道なのか誰にも断定はできない。選ぶのは自分自身だし、今、そしてこの先の未来をどう味わうか、楽しむかということも、全て自分の手の中にあるということを改めて教えてくれる作品だった。
筆者の働く書店のイベントで、とある小説家が「デビュー作から四作目で、今までの自分を出し切った感じがした」と発言していたことがある。確かに店頭を見渡すと、三、四作目が最初の充実期にあたる作家が多いことがわかる。お買い上げされるお客様の満足度も高いことも、販売数を見ているとわかる。『春、死なん』は小説家・紗倉まなの三作目だ。
この一冊によって、紗倉まなは上手い作家から、信頼できる作家へと変化したと思う。ぜひ読んで、体感して、著者の息吹を感じて欲しい。これからより注目すべき作家であるが、このとても強くしなやかな芽吹きの力を感じられるのは、この作品しかないのだから。
■山本亮
埼玉県出身。渋谷区大盛堂書店に勤務し、文芸書などを担当している。書店員歴は20年越え。1ヶ月に約20冊の書籍を読んでいる。座右の銘は起きて半畳、寝て一畳。
■書籍情報
『春、死なん』
著者:紗倉まな
出版社:株式会社 講談社
発売日:2020年2月27日
定価 : 本体1,400円(税別)
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000333397