韓国文学の異端児 パク・ミンギュの面白さとは? 翻訳家・斎藤真理子×岸本佐知子 対談

韓国文学の異端児 パク・ミンギュの魅力

翻訳の面白さと苦労

岸本:『完全版 韓国・フェミニズム・日本』という斎藤さんが監修された本についている用語集がむちゃくちゃ重宝するんですよ。“チョンセ”についても丁寧に解説されているし、これを読んでから『パラサイト』を見るとすごくいいってTwitterでどなたか仰ってました。『ダブル』でも、あとがきで斎藤さんが全作品の解説をしてくださっているんですが、これでどれだけ助かったか。解説を読んで知ったんですが、この短編集は一編一編、誰かに宛てて書いているんですよね?

斎藤:『ダブル』について韓国では、イラスト入りの別バージョン豪華本が出たんですが、そこにそれぞれの短編を誰に宛てたかっていう短い説明が書いてありました。豪華本にしか書かれていないので、韓国の読者でも知らない人は多いと思います。

岸本:「羊を創ったあの方が、君を創ったその方か?」(『SIDE A』収載)に「ゴ」と「ド」っていう人が出てくるんですけど、解説を読んだらそれはゴドーなんですよ。この作品は『ゴドーを待ちながら』を書いたサミュエル・ベケットに捧げてる。

斎藤:訳していてもそんなの絶対分からないですよ。

岸本:やっぱり分からなかったですか?

斎藤:何度かのメールでのやりとりの最後に「これは何かを待ってる物語で、ゴドーを想いながら書いたからこういう名前になりました」ってサラッて書いてあって(笑)。

岸本:なんでそんなすっごい大事なことを最後まで言わないの(笑)! 知らずに読んでも楽しめたけれども、やっぱりゴドーっていう補助線を引いてもらった方が作品をより深く味わえると私は思います。

斎藤:特に海外の著者が書いたものは、読むときに補助線がすごく有効なんですよね。必須というよりは有効なんですよ。なくても読めるけど、あったほうが圧倒的にいい。でもパクさんは、知ってても知らなくても構わないというスタンスですね。それに韓国の読者って、物語の背景設定とか裏話にそれほど興味がないような気がします。著者のプライバシーとか、裏話、小ネタ、小技的なこと我々は大好きじゃないですか。韓国の読者はそこにそんなに関心ないみたいです。

岸本:ええ、そうなんだ。日本の読者は、あとがきがある分すごく得してると思います。

斎藤:ありがとうございます。それまでは「コ」と訳していたんだけど、全部「ゴ」に直しました。

岸本:韓国語ではゴドーは、コドーなんですか?

斎藤:濁音の原則が日本とちょっと違っていて、コとゴはあんまり区別しないんです。そのまま訳すとコになっちゃう。

岸本:なるほど。私は韓国語分かりませんけれども、パクさんの韓国語はどんな感じなんですか?

斎藤:すっごい変な韓国語だと思います。ちょっとズラした言い方をしたり、副詞や接続詞がおかしかったりする。でもちゃんとしてるところはちゃんとしてるんですよ。老大家みたいに書けって言われたら書けるし、文体模写はものすごくうまいと思います。わざとズラしてると思うんですよね。

岸本:翻訳でも“変さ”が出ていて凄いです。

斎藤:それ、変じゃないところが変になってないですか(笑)?

岸本:翻訳者の永遠の問題ですよね(笑)。変な文章だからって変に訳すと、翻訳が下手だと思われる問題。

斎藤:岸本さんの訳されたジョージ・ソーンダーズの短編集『十二月の十日』でも、色々工夫されてますよね?

岸本:そうなんです。特に困ったのが「わが騎士道、轟沈せり」という一編です。“中世テーマパーク”に勤めている若者の話なんですけど、テーマパークに勤める騎士役の人は、考え方も振る舞いも言葉も騎士みたいになるという薬を飲むんです。主人公もその薬を飲んで、徐々に言葉が騎士っぽくなる。その様子を書くのがほんとに難しかった。

斎藤:話の中で人物の言葉遣いが徐々に変わっていくものの翻訳は難しいですよね。「グッバイ、ツェッペリン」(『SIDE A』収載)も大変でした。最初は若い人が自分より年上の人を超バカにしているんだけど、徐々に兄貴と尊敬するようになっていくんですよ。それを韓国語では呼び方の変化で表しているんですが、日本語だとなかなかうまくいかなかったんです。

岸本:韓国では一歳でも年が上だと敬語で、お父さんと息子でも敬語で会話しますよね?

斎藤:原則的に韓国では親には敬語を使うんですけど、親子関係とか家庭環境によって使わない場合もあります。でも基本的に言語の上では、お父さんはお父様。例えば日本だと「このクソ親父!」ですけど、韓国だと「このクソお父様め!」みたいに読めるんです(笑)。

岸本:両方の言語が出来る人にだけ与えられた楽しみですね。

斎藤:段々言葉遣いが変わっていったりとかそういう描写は訳すのは大変ですが、読むのはすごく面白いです。

岸本:「<自伝小説>サッカーも得意です」(『SIDE A』収載)の主人公はマリリン・モンローですけど、主語は「僕」ですね。

斎藤:それも大変だったんです。一人称は「ナ(나)」っていう英語の「I」なんですけど、「ナ」は男か女かどっちか分からない。韓国では「ナ」のままでいいけど、日本語はそうはいかないでしょう。「僕」にするのか「私」にするのか、最後まで迷いました。

岸本:「僕」にしてよかったんじゃないですか。違和感がいい感じで仕事をしています。

斎藤:ありがとうございます。違和感を全部消しちゃっても変ですもんね。

岸本:どの言語でも翻訳家あるあるだけれども、違和感をどの程度残すかっていうのはありますね。

斎藤:そうなんですよね。

『ダブル』の受け入れられ方

岸本:『ダブル』では、どの作品が日本の読者の方に受けていますか?

斎藤:私が聞いたのでは「グッバイ、ツェッペリン」は人気がありますね。それから「近所」。

岸本:「近所」クソうまいですよね(笑)。

斎藤:リアリズムの名短編という感じで、クソうまいです(笑)。

岸本:同じくリアリズムの「黄色い河に一そうの舟」は?

斎藤:これもとても評判が良くて、韓国では演劇になって賞を貰ったりもしてるんです。パク・ミンギュはそれまで奇想天外なものを書いていた感じだったけど、この作品はしっとり落ち着いた大人の作品ですね。「ルディ」という不条理ホラーみたいな作品も印象深いようです。

岸本:これ「善人はなかなかいない」というフラナリー・オコナーの作品を思い出しました。なんの理由もない暴力がそこにある。

斎藤:象徴的な短編で、資本主義そのものが主人公みたいな読み方をしている方もいます。そして本人には伺ってないですが、『SIDE B』のラストに「膝」を持ってきたのは強い意志があったんじゃないかと思います。今の北朝鮮に属する土地の一万年前を舞台にしている小説です。

岸本:お父様が北朝鮮のご出身なんですよね?

斎藤:そうなんです。お祖父さんが子供だったお父さんを連れて、朝鮮戦争の時に南に逃げてきたんですね。その逃げる前に住んでいた地域を舞台にしてる。自分の両親、父方の人々がまだ戻れていない場所、その地域の一万年前という歴史の深いところまで大きく撹拌して書いてるんです。韓国という枠を超えた小説になっていて、パクさんらしいスケールが大きな小説になっています。

岸本:すごいなと思ったのは、この描写力です。本当に洞窟に住んで皮の服を着て、石の武器を持ってマンモスと戦っているような気持ちになります。ジャック・ロンドンみたいに、寒い、ひもじい、痛い。迫真でした。「膝」っていうタイトルがまた、読み終わって「く~」ってなりました。

斎藤:まさに「く~」です。岸本さんが一番好きだった作品はどれですか?

岸本:ほんとに全部好きだったんだけれども……。『SIDE A』でいうと、「近所」も好きでしたし、「羊を創ったあの方が、君を創ったその方か?」も異形すぎて忘れられない。「グッバイ、ツェッペリン」は切なくもあり、青春的でもあり。『SIDEB』ではさっき言った「ディルドがわが家を守ってくれました」が大好きですね。パクさんの作品はどれもそうなんだけど、立ち行かない辛い状況を書いていてもどこか“抜け感”がありますよね。超絶ガチSFみたいなのもありましたね。

斎藤:「深」ですね、あれは海洋SFというか……。

岸本:読み終わってみたらそんなに長い話じゃないのに、世界観がむちゃくちゃ壮大で。

斎藤:ほんとに。水圧の高いところに抑え付けられて一気に手を離されたっていう感じで読み終えるので、校正する度に疲れていました(笑)。

岸本:短編集ってただでさえ一個の話が終わったら次の話は全然違う設定で、頭をリセットしなくちゃいけないから、じつは意外と疲れますよね。

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