『死役所』はなぜ、理不尽な死に様を描くのか? 現実感のある“死後の世界”の意味
人の死をテーマにしたコミックは、巷に数多く溢れている。だが、『死役所』(あずみきし/新潮社)は同テーマを描いたコミックの中でも圧倒的な存在を放っている作品だ。本作は、今年の10月からTOKIOの松岡昌宏主演でテレビドラマ化もされている話題作。なぜ本作は多くの人々の関心を集める作品になれたのか。そこには、本作が醸し出す“独特の空気感”が関係しているように思えてならない。
本作と同様、人の死をテーマにした斬新な漫画として注目を集めたのが、今から16年前に釈由美子主演でテレビドラマ化された『スカイハイ』(高橋ツトム/集英社)だ。『スカイハイ』は、不慮の事故や殺人によって命を落とした者が訪れる「怨みの門」が舞台。番人であるイズコは死者に現世の記憶や残された者の様子を見せ、最後に「死を受け入れて、天国で再生を待つか。(生)」、「死を受け入れず、現世で彷徨い続けるか。(行)」、「現世の人間を1人呪い殺し、地獄へ逝くか(逝)」という3つの選択肢を出す。
選択後の死者を送り出す決めゼリフ“おいきなさい”は作品のキャッチコピーにもなり、選択肢によって「お生きなさい」「お行きなさい」「お逝きなさい」と、表記が変化。その一言の奥深さに感心させられた読者は、きっと多いことだろう。高橋ツトムは「怨みの門」という架空の舞台を設けることにより、人間が持つ憎悪の恐ろしさや生の尊さを読者に訴えかけていた。
そんな『スカイハイ』と本作には大きく異なる点がある。それは、本作は現実感のある世界を描いており、死者は無力でしかないということ。その決定的な違いこそが、本作の大きな魅力になっており、これほどまでに支持を得た理由であるようにも思える。
舞台となる死役所は、此岸と彼岸の境界に存在し、市役所のような役割を担っている場所だ。死者は死後、死役所に辿りつき、自殺や他殺、病死などの死因ごとにそれぞれの課に案内される。案内後は、49日以内に成仏の手続きを行う決まりだ。期限を過ぎると死者は成仏できなくなり、真っ暗な「冥途の道」をひたすらさまようことになる。
49日という、短い最期の時間。その間に死者は、これまで辿ってきた自分の人生と向き合う。それは言い換えてみれば、“向き合うことしかできない”ということでもある。死者は現世に還ったり、現世の憎い相手に復讐をしたりすることができない。制限付きの自由の中でただひたすら、歩んできた道のりを思い返すことしかできないのだ。死者が直面する、このもどかしさや無力感は作品にリアリティーをもたらしている。生前の記憶を思い返しながら後悔する死者たちの姿を見ていると、「自分も死んだら、こんな風にひたすら過去を振り返ることしかできないのかもしれない」と思わされ、今を大切に愛でながら生きたくなってしまう。
また、死者の人生はもちろん、癖の強い死役所職員たちの過去が徐々に暴かれていくところも読者を虜にする見どころだと言える。実は死役所職員はみな、元死刑囚。苗字には必ず「シ」が入っており、その部分はカタカナで表記されているのが特徴だ。
死刑囚は死刑執行後、所属職員がいない「死刑課」で受付され、強制的に職員採用試験を受けさせられる。一般的な死者のように49日以内に成仏することはできず、試験を辞退すると「冥途の道」行きとなってしまう。採用後は任期満了の辞令が下りれば成仏できるが、いつどんな理由で辞令が下りるのかは不明。辞令を拒否したり、49日以内に成仏を拒否したりすると「冥途の道」行きとなる。
元死刑囚と聞くと、重大事件を犯した人物たちが頭をよぎるものだ。しかし、本作に登場する死役所職員たちの死刑理由は奥深いものばかり。徐々に明かされていく罪の内容や犯行理由は、決して涙なしでは読めない。
中でも特に注目したいのが、本作の主人公であるシ村こと、市村正道。シ村は眼鏡に七三分けで、常に笑顔。「お客様は仏様です」をモットーにしているが本心は読めず、死役所職員という立場を利用し、こっそりとある目論みを企てている。