今もっとも続きが気になる格闘技漫画、『喧嘩稼業』の面白さは“理屈の戦い”にアリ

 リアルサウンド編集部の方から「今すぐ記事にしたい本はありますか?」という質問を受けたとき、私は即答した。「木多康昭先生の『喧嘩稼業』ですね」……それくらい私は『喧嘩稼業』が好きだ。色々な問題はさておき、それはそれとして面白いと思う。小学生の頃の私に『喧嘩稼業』を渡して、これ「『幕張』の木多康昭先生だぞ」と言ったらどうなるか? 時おり真剣に考えてしまうくらい好きだ。木多先生といえば『幕張』のイメージが強い。たしかに『幕張』は強烈な作品だった。小学校で『幕張』の真似をしていた同級生たちの姿は、30歳を過ぎた今でもハッキリと覚えている(保護者の間で問題視されていたのも)。具体的にいうと、みんな脱ぎっぷりが非常に良くなり、テレビに出ている芸人へのコメントが辛辣になった。本作はそんな『幕張』と同じくらい明日から真似したくなる作品だ。

木多康昭『喧嘩稼業 11』(ヤングマガジンコミックス)

 『喧嘩稼業』は「ヤングマガジン」で連載中の作品で、元々は『喧嘩商売』というタイトルで始まった。主人公は高校生の佐藤十兵衛。彼は勝つためなら手段を選ばない生粋の喧嘩屋だが……連載初期はまだ『幕張』的なノリも残しており、巧みに喧嘩をしつつも、下ネタ中心の高校生活にも重きが置かれていた。しかし、十兵衛が色々あってヤクザの用心棒で“本職”の喧嘩屋・工藤にボコボコにされた辺りから、作品は次第にシリアスなトーンになってゆく。やがて世界中から集まった格闘技の達人たちが戦う“陰陽トーナメント”が始まり、タイトルも『稼業』に変わってからは、基本的にシリアスなトーンで統一されている。このようにシリアスとギャグの振り幅はあるものの、私が『商売』~『稼業』を通じて、この作品で最も好きな部分は一貫しており、おまけにドンドン進化中だ。では、どういう部分が好きなのかというと……良い意味で「理屈っぽい」ところである。

 私は格闘技漫画の「理屈」が大好きだ。提示された課題に対しての解決策を理屈で納得させられるときこそ、格闘技漫画を読む楽しみがあるように思う。具体的な例を出すなら……たとえば板垣恵介先生の名著『グラップラー刃牙』で登場したこんなシーンだ。ボクサーとテコンドーの選手が何でもありで戦う試合で、「ボクサーは蹴りと下半身への攻撃に慣れていない。ボクシングの攻撃はパンチのみで、拳が届く範囲は体の正面の空間に限られる。なので、パンチが届く範囲から距離をとって、下半身をキックで集中的に攻撃すれば倒せる」テコンドー側はこういう理屈で戦う。しかしボクサーは試合場の壁を足場代わりに使って、テコンドー側のいう「体の正面の空間」に相手の顔面が来るように体勢を整える。そしてパンチを放ってKO……まずテコンドー側からボクシングの特徴と弱点が提示され、それを踏まえた上でボクサーが追い詰められる。しかし、ボクサーはこのボクシングの「体の正面の空間」しか攻撃できないという理屈を守ったまま、「では、それでどう勝つか?」という答えを描いているわけだ。「なるほど!」と思った。しかし、冷静に考えれば……これは凄くファンタジーである。だってボクサーが何でもありの試合で律儀にパンチだけで、ボクシングだけで戦うだろうか? 恐らく現実は違うだろう。しかし『グラップラー刃牙』を読んでいる最中だけでは、この「理屈」に納得してしまうのである。それは板垣恵介先生の作画・語り口……いわゆる漫画力の賜物にほかならない。これは古くは『あしたのジョー』でもそうだ。現実の格闘技で使えるかはさておき、劇中で筋は通っている理屈が示されること、それが格闘漫画の楽しみの1つだと思う。

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