アニソン20年の軌跡:シーンの変遷を辿る(1)黎明期から開花期へ レジェンドたちが築いた転換点を追う
アニソンシーンにおける2000年代とは、およそ60年を数える歴史の中でもっとも華やかで、同時に混沌とした時代である。新旧世代のアニソンアーティスト、J-POPアーティスト、声優アーティストといったこれまでのシーンを彩ってきた存在に加えて、2000年代に頭角を現してきたキャラクターソングといった様々な要素が集結し、“アニソン”というひとつのカルチャーとして注目を浴びた時代である。
中でも今からおよそ20年前の2005年とは、そうした要素が音楽シーンの表舞台へと一挙に現出した年でもある。この年に数多くのアニメ作品とともに、シーンにおける重要な楽曲たちが生まれていった。そして百花繚乱の時代に呼応したイベントとして、以降もシーンのアイコンとなるアニソンフェス『Animelo Summer Live』がスタートしたのも2005年だ。筆者はしばしば2000年代のシーンを語る上で、この2005年とアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』が放送された2006年は2000年代、あるいはアニソン史において非常に重要な2年間だと捉えている。少なくとも2005年という1年は、アニソンというものが“アニメの主題歌”というカテゴリーという枠を飛び出して、音楽カルチャーの見逃せないトレンドとして注目を集める大きなきっかけを生み出した、いわば“現代アニソン”誕生の瞬間と言えるのだ。
2005年からまもなく20年という時を迎えようとしている。そんなアニバーサリーの中でリアルサウンドは、現代アニソンというカルチャーを作り上げた作品、アーティスト、楽曲たちを解説していく連載企画をスタートする。今回はその連載企画のプリクエルとして、2004年までのシーンについて解説していきたい。
2000年代前半の最初のハイライトは、“古き良きアニソンの復権”だ。1999年に音楽レーベル・ランティスが設立され、社長である井上俊次を筆頭に少数精鋭の中でアニメ/ゲーム関連作品をリリースしていく、いわば“アニソンレーベル”として活動を開始する。その初期ラインナップの中には、井上とともに所属していた伝説のロックバンド・LAZYのボーカリストでもある影山ヒロノブもいた。当時アニソン界のプリンスとしてすでにシーンの中でも人気、実力ともにトップクラスの存在だった影山だが、彼が同じくレジェンドシンガーである水木一郎の呼びかけによって2000年7月に結成したグループが、JAM Projectである。
水木、影山に加えて遠藤正明、松本梨香、さかもとえいぞう(ANIMETAL)という編成でスタートしたスーパーグループは、「古き良きアニソンを次世代に残す」というスローガンのもとに、王道のアニソンを現代にアップデートしながら現在まで活動を続けている。そうしたJAM Projectのステイトメントは、21世紀という新たな時代を迎えたアニソンシーンとも早々にリンクし、2003年リリースの「SKILL」はゲーム主題歌ながら自身のワンマンやフェスにおける絶対的なライブアンセムとして君臨。以降も「VICTORY」(2004年)、「GONG」(2005年)といった、プログレッシブな要素も含むハードロック/ヘヴィメタルへのアプローチを進めていく中で、JAM Projectの存在感は多様な魅力を持つアニソンにおける“顔役”として、シーンに多大な影響を残していった。