新浜レオン、西城秀樹から学んだ老若男女から愛される方法 木梨憲武&所ジョージとの新曲制作秘話も
西城秀樹との出会い、憧れ
ーー楽曲「全てあげよう」についてですが、西城秀樹さんに対するリスペクトから生まれた楽曲ということで、レオンさん自身はどういう経緯で秀樹さんのことを知ったのですか?
新浜:父が演歌歌手なのですが、父は西城秀樹さんに憧れていたそうなんです。僕は父のことを世界一歌が上手い人だと思っていて、そんな父が憧れるのはどんな人だろうと興味を持ちました。曲に関しては、父が自分のコンサートで秀樹さんのカバーを歌っていたので知っていました。それに僕の本名の名字が高城で西城と似ていることから、『ちびまる子ちゃん』に秀樹さんが出るたびに、「昨日、出てたじゃん」と学校でよくイジられていたんです。父が演歌歌手であることは学校中に知られていて、当時から“昭和の男”みたいにイジられていて、それもあって秀樹さんのことは自然と意識していたところがありました。そんなところから、どんどん秀樹さんの曲や秀樹さん自身が好きになっていきました。
ーーレオンさんはこれまでも西城秀樹さん好きを発言していて、西城秀樹さんの曲を手がけた馬飼野康二さんに曲を作ってもらったり、自身のコンサートで西城秀樹さんメドレーを歌ったりしていて。自身の活動に西城秀樹さんの息吹を取り入れようと思ったのは、単純に西城秀樹さんが好きだったからですか?
新浜:好きなことももちろんですけど、歌手を本気で志そうと思った時、同世代に演歌/歌謡を聴く友だちが周りに一人もいなくて、演歌/歌謡=昭和とか古いというイメージを持たれていたことに、僕としてはすごく悔しい思いをしました。秀樹さんみたいな格好いい曲もあるのに、演歌/歌謡というだけで、聴こうとすらしない。そのことに忸怩たる思いを抱えていて。そこでいざ歌手になる時、同世代に演歌/歌謡の良さを絶対伝えるんだ! と目標に掲げました。ただそれを伝えるためには、今までと同じことをやっていては認識を変えることはできない。そこで、改めて秀樹さんのライブ映像を観たら、小さいお子さんからお年寄りまで世代問わずみんなが「秀樹コール」を送っていたり、振り付けを一緒に踊っていて、「これだな」と思ったわけです。
時代性もあったと思いますけど、どうしてみんなが一緒に楽しめたのか分析したところ、一番大きいのは振り付けで、あとアクション、ダンス。そこに若い人でも入ってこられるきっかけ作りのヒントがあると思って。それで自分の曲でも振り付けをつけたりとか、曲の中にコール&レスポンスができるパートを設けたりしていきました。ただ、一方的に押しつけるだけでは、無理してやってる感じでかっこ悪いし、ちゃんと若い世代に寄り添ってやることが必要だと思って。
ーーそれを実践して実を結んだのが、TikTokでも話題になった「捕まえて、今夜。」の窓拭きダンスですね。
新浜:はい。その思いが、一つかたちにできたんじゃないかと。サウンド的には70年代後半の沢田研二さん調じゃないけど、舟山基紀さんのアレンジによる歌謡テイストなんですけど、発信するのは窓拭きダンスで、しかもTikTokで。おかげさまで再生数も1億回を超えましたし、すごく大きな一歩になった曲でした。
ーーちなみに西城秀樹さんの曲で好きなのは?
新浜:ライブでよく歌うのは「情熱の嵐」「傷だらけのローラ」「激しい恋」「ギャランドゥ」などアップテンポの曲ですけど、本当はバラードが好きで、「ブルースカイ ブルー」「若き獅子たち」「遥かなる恋人へ」です。これは秀樹さんのバラードの特徴で、すごく壮大で大きくて、「レオン縮こまるなよ」と言われているような、「型にはまるなよ」と言われているような気持ちになります。
ーー木梨さんとそんな話もして、それで生まれた「全てあげよう」を最初に聴いた時は、どんな印象でしたか?
新浜:秀樹さんのいろんな曲のいろんな部分がオマージュされていて大好きな秀樹さんのサウンドがイントロからビシバシ感じて、聴いた瞬間「大好き!」って思いました。歌詞にも秀樹さんの曲の要素が散りばめられていて、所さんのセンスはさすがだなって思います。でも頭からサビで始まるのは、木梨さんのアイデアだそうです。Bメロを“パンッパパン”と手拍子を叩けるリズムにしたアイデアも木梨さんで、あくまでもファンと一緒に楽しめる曲にしたいということで、考えてくださったそうです。それも所さんが席を外している隙に、勝手に変えちゃうというお茶目さで、それもネタとして話されていて。所さんも木梨さんをリスペクトされているからこそ許される、そういう間柄のお二人だからできた曲だし、木梨さんの秀樹さん愛が端々に感じられて、僕には堪らない1曲です。