猿岩石「白い雲のように」はいかにして生まれたのか 90年代に訪れた芸人の本格的歌手活動ブーム

『みんなが聴いた平成ヒット曲』第8回…猿岩石「白い雲のように」

『電波少年』で強制的にユーラシア大陸をヒッチハイク横断

 「仮歌はフミヤさん本人が歌っていた。『うわあ、いい歌だな、このテープいくらで売れるだろう』と思った。特にフミヤさんの声なんで、まさにチェッカーズそのものだった。もっと『恋のぼんちシート』みたいな歌かと思ったら、えらいカッコいい歌だ」

 有吉弘行は、かつて組んでいたお笑いコンビ・猿岩石の書籍『猿岩石 芸能界サバイバルツアー 公式版』(1997年/太田出版)のなかで、自分たちのシングル曲「白い雲のように」の仮歌を聴いたときの感想をこのようにつづっている。

 1994年に有吉弘行、森脇和成で結成された猿岩石は、1996年4月『進め!電波少年』(日本テレビ系)の企画で香港へ連れて行かれ、そのまま半年かけてヒッチハイクでイギリスまでわたった。伝説の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」である。出発の2カ月前。彼らは企画内容がわからないまま、事務所のすすめで番組のオーディションを受けて合格。「ネタを2、3個作っておいて」と言われ、一度も打ち合わせをすることなく香港へ。夕方5時半に現地入りし、夜7時に本番。ドタバタでカメラ前に立たされ、状況がつかめないなかそのまま旅へ出ることになった。

 現在のテレビ番組では考えられないようなドッキリ企画である。当時の『電波少年』はとにかくバラエティ番組の限界点に挑んでいた。今でたとえるなら「事件性のある『水曜日のダウンタウン』」、もしくは「芸能人が強制連行される『クレイジージャーニー』」と言うべきか。『水曜日のダウンタウン』で「新元号を当てるまで脱出できない生活」(2019年5月8日放送)などの企画があったが、そのモチーフとなったのは『電波少年』の「電波少年的懸賞生活」などだろう。

 過激な内容が熱烈に支持をあつめる番組において、猿岩石の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」は特に大きな反響をあつめた。インターネットがまだそこまで発達していない、この時代。猿岩石は、自分たちが日本で人気者になっていることを帰国して初めて知ることになる。

デビュー曲もミリオンヒット、無名芸人が人気絶頂に

 1996年12月21日、猿岩石のデビューシングル『白い雲のように』がリリースされた。作詞は藤井フミヤ、作曲は藤井尚之、プロデュースは秋元康。超豪華布陣で制作された同曲は、発売当初はそれほど売り上げを伸ばせなかったが、じわじわと広がってミリオンヒットを記録した。

 ただレコーディング時、有吉は仮歌を渡されても、歌やメロディをまったく覚えていかなかったという。歌も苦手なうえ、何時間も拘束されたため「僕の顔色はどんどん悪くなっていたとおもう」(『猿岩石 芸能界サバイバルツアー 公式版』)と苦戦したという。一方、森脇はフミヤが認めるほど歌がうまかった。仮歌を聴きこみすぎてフミヤに歌い方が似てしまうほどで、有吉は「森脇は燃えているみたい」(同書内)と振り返っている。楽曲をリリースする際のふたりの取り組み方は大きく違っていた。

 音楽番組のヒットチャートコーナーで「白い雲のように」のミュージックビデオが流れたとき、映像内のふたりのぎこちなさが印象的だった。映像監督らから「こうしてください」と言われるがまま、映像を通して曲を「表現」しようとする様子もなく、ただただ突っ立ったり、ちょっと体を揺らしたりしながら口を動かしていた。『電波少年』で強制連行されて旅に出た猿岩石は、またもや訳も分からず芸能界のど真ん中へ飛び込まされた。そんな雰囲気が映像から伝わってきた。

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