けんいち(北川賢一)、“元ロードオブメジャー”に対する葛藤からの解放 ミリオンセラー「大切なもの」から20年の現在

けんいち、“元ロードオブメジャー ”への葛藤

 2002年、バラエティ番組『ハマラジャ』(テレビ東京)の企画で結成されたロックバンド、ロードオブメジャー。見知らぬ4人のバンドマンが共同生活を送り、曲作りを通して結束し、同年デビュー。初シングル曲「大切なもの」がオリコン50位以内に入らなければ即解散というハードルなどを飛び越え、2007年7月まで活動した。同バンドでボーカルを担当していたのが北川賢一。解散の3カ月後に北川けんいち名義でソロ活動をスタート、2019年からは“けんいち”名義で活動を続けている。今年でソロ活動は15年目を迎えたが、その道のりは平坦ではなかった。今回は、ロードオブメジャー時代の思い出を振り返りながら、現在の活動について北川に話を聞いた。(田辺ユウキ)

「大切なもの」みたいな曲を今、書けるかと言われたら絶対に無理

ロードオブメジャー / 大切なもの

ーー2022年は、ロードオブメジャー結成からちょうど20年になりますね。けんいちさんは現在はソロ活動をおこなっていらっしゃいますし、今回のようにバンド時代を振り返る取材や、「元ロードオブメジャー」という肩書きで語られることに抵抗はありませんか。

けんいち:まったくないと言えば嘘になります。ただ正直な話をすると、今の自分の音楽を聴いてもらうために、YouTubeのアカウント名に「ロードオブメジャー」と表記していたりもしました。その肩書きでチャンネルを観てくれたり、曲を聴いてくれたりする。でも、コルクという今の所属事務所のみなさんのおかげで、そのあたりへの迷いは晴れてきました。

ーーというと?

けんいち:僕を担当してくださっている方が「せっかく新しいことをやっているのに、昔の肩書きに頼っているのは格好良くないと思います」と意見を言ってくれたんです。本来であれば、事務所の方が「元ロードオブメジャーで売っていきましょう」となるはずだし、自分はそれを汲み取ってバンド時代の肩書きをつけていたけど、「北川賢一としてゼロからやっていきましょう」って。そんなことを提案してくれる人と音楽を作れるのは幸せだなと感じました。なんでも話し合えるチームだから、ストレスなく音楽活動ができています。

ーーソロ活動の雰囲気からもストレスフリーな感じが伺えます。

けんいち:より自然体に近い自分の姿が、音楽に反映されています。良い環境で音楽をやらせていただいて、一番の財産になっていますね。ソロになってからこれといったヒット曲はないけど、変な焦りはないんです。ヒットするかどうかは結果だし、やっていくなかでいつか生まれたら良いなという感覚。今はそんな心地良い環境だから、「元ロードオブメジャー」と名乗るのも以前ほど考え込まなくなりました。

ーー気軽に昔の話ができるようになったわけですね。

けんいち:そうそう、変な意識をすることがなくなりました。ちょっと前までは「俺はずっと元ロードオブメジャーって言われるんやな」と思っていたけど、40歳を超えてからは「うん、まあそうやね」と理解できるようになったというか。それに解散から15年経っても「ロードオブメジャーの曲を聴きたい」と言ってくれる人が多いですし、めちゃくちゃありがたいなって。

けんいち

ーー現在のソロ活動のライブでは、ロードオブメジャーの曲も織り交ぜていますよね。

けんいち:ソロになってから数年は歌ってこなかったんです。だから久しぶりにやるときは勇気がいりました。でもそこで、曲を聴いたお客さんが泣いてくれたんです。「やってくれてありがとう」という声が多かった。僕自身はやるのが怖かったけど、こんなに楽しみに待ってくれているんだったら、曲にとってはやったほうが良いんじゃないかなと考えました。

ーー数年間、歌わなかった理由はやっぱりソロとしての自分を見て欲しかったから?

けんいち:そうですね。やっぱりどこか抵抗感があったし、それがなくなることはない。だけど、曲に罪はない。聴いて喜んでくれる人がいるんだから、やらない理由はないですよね。自分の変なこだわり、思い込みは必要ない。そこでライブでも何曲か演奏するようになりました。

ーー可能性は低いと思いますが、それでも「一夜限りで良いので再結成してほしい」という声も多いですね。

けんいち:この前もテレビ番組の「30代、40代が選ぶ、テンションが上がる曲」みたいな企画に挙げられていて、びっくりしたんです。音楽を聴く環境はCDからサブスクなどにいろいろ変わってきた。だけどロードオブメジャーの曲は昔からずっと聴いてもらえている。そういう曲に関われたことが今でも不思議な気持ちなんです。

実は僕だけロードオブメジャーをクビになりそうだった

ーー『ハマラジャ』出演時は共同生活の部屋にテレビを置いていなかったから、反響があったことも全然知らなかったんですよね。

けんいち:全然把握できていませんでした。あれから『ハマラジャ』を観返してもいないので、今でもよく分かっていません。僕は単純に過ぎ去ったものにそこまで興味がなくて、現在と未来しか見ていないから。過去のライブ映像とかも観ないんですよ。人によっては今までのライブ映像から自分の課題を見つけたりするけど、僕は時間を持て余している気になってしまって、じっと観ていられない。

ーー見ず知らずのバンドマンたちとの同居生活はどんな思い出がありますか。

けんいち:なかなか風呂に入れなかったなあと…‥(苦笑)。曲作りが大変だったから。全員、ほとんど曲を作ったことがなかったし、僕はキー設定も分からなかった。だからありえない高さで歌ったりしていて。レコード会社の人に「キー設定がどうなってんの」と言われました。あと、サビだけテンポがゆっくりになっているのに、それに気付かずに演奏したり。キーやテンポについていろいろ教えてもらって、そのあとに出来たのが「大切なもの」だったんです。いま振り返ると本当にめちゃくちゃだったんですけど、でも、そういう初期衝動から生まれた曲がたくさんあるし、「大切なもの」みたいな曲を今、書けるかと言われたら絶対に無理ですから。

ーー番組の企画内容には、「大切なもの」がオリコンチャート50位以内に入らなかったら即解散という課題が与えられていましたね。見事にクリアして活動続行となりましたが、もしダメだったら音楽は続けていましたか?

けんいち:どうでしょうね。誰も受け入れてくれなかったら、音楽をやめて就職していたんじゃないかな。あと今だから言えるんですけど、デビュー前、実は僕だけロードオブメジャーをクビになりそうだったんです。

ーーえ、そうなんですか。

けんいち:関係者のみなさんが「ボーカルがダメなんじゃないか」と会議になったらしくて(笑)。ただ、avexの担当ディレクターさんが「ちょっと待ってください」と交渉してくださり、僕をボイトレに通わせ、いろいろ修正してくれた。それでバンドに残ることができて、50位以内にも入れたんです。ディレクターさんが説得してくれなかったら、間違いなく今の僕はいませんね。それに当時も、ロードオブメジャーがヒットしたのは関係者のみなさんが懸命に売り出してくださったおかげ。ソロになってから、曲がなかなか広がっていかず「なんでだろう」と悩んだんですが、自分はずっと「良い曲を書けば売れるだろう」と思い込んでいたんです。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる