猿岩石「白い雲のように」はいかにして生まれたのか 90年代に訪れた芸人の本格的歌手活動ブーム
ブラビ「Timing」などお笑い芸人の本格的歌手活動ブーム
またその当時、お笑い芸人たちがバラエティのノリではなく、本格的な制作体制で楽曲をリリースすることが流行していた。
浜田雅功(ダウンタウン)は1995年から翌年にかけて、小室哲哉とタッグを組んでH Jungle with tとして活動。今田耕司はTOWA TEIのプロデュースのもとでKOJI1200としてデビューした。千秋、内村光良(ウッチャンナンチャン)、ウド鈴木(キャイ~ン)はポケットビスケッツとして「YELLOW YELLOW HAPPY」(1996年)など、そしてビビアン・スー、南原清隆(ウッチャンナンチャン)、天野ひろゆき(キャイ~ン)はそのライバルとしてブラックビスケッツを始動させて「Timing」(1998年)などを大ヒットさせた。
記事冒頭で触れた「恋のぼんちシート」は、1981年1月1日にザ・ぼんちが発表して大ヒットを記録した楽曲だが、お笑い芸人らしいコミカルなものだった(ちなみに作詞作曲は近田春夫、編曲は鈴木慶一)。ただ1990年代の芸人によるCDリリースブームの楽曲は、お笑いからほど遠い人が聴いても、歌詞に自分を重ねることができたり、背中を押されて元気をもらえたりするなど、「笑い抜き」で作られていた。
「白い雲のように」も、苦しみながら旅をしていた猿岩石の様子を思い出させるだけではなく、〈風に吹かれて 消えてゆくのさ〉という歌詞がしめすように、突然人気者になった猿岩石の戸惑いや、ふたりのその後の行き先をあらわしているようなものだった。
有吉弘行「こんな人気続くわけがない」
有吉は自著『お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ「生き残りの法則50」』(2012年/双葉社)で、「僕は昔からいつでも『自分がこの先どうなるかわからない』と思いながら生きてきました。猿岩石でアイドル並みの人気だったときも、『こんな人気続くわけがない。自分たちの実力であるわけがない』って結構冷静に考えてました」と語っている。
実際に猿岩石はその後、人気が低迷し、有吉曰く「地獄」の日々を迎える。『電波少年』は『雷波少年』へと派生したのち、2002年3月にレギュラー放送を終える。そのちょうど2年後、猿岩石も解散。インターネットの普及によって流行のめぐりが早くなりつつあった2000年前後。お笑いコンビとしての強い武器を持たずにスターになった猿岩石がその座から転落するのは、決して不思議なことではなかった。日本中を熱狂させたコンビとしてはひっそりとしていて、しかしどこか頷ける幕引きだった。
「白い雲のように」で〈遠ざかる雲を見つめて まるで僕たちのようだねと君がつぶやく〉と歌っていたふたり。猿岩石はリリースから8年後、雲のようにフッと消えていった。小学1年生のときに出会い、コンビを組んで広島から上京した有吉と森脇の旅は、そのとき本当に終わったと言える。
そして2022年12月31日、有吉は『第73回NHK紅白歌合戦』(NHK総合)で「白い雲のように」を歌唱することが決まった。純烈の応援ゲストとして、ダチョウ倶楽部とのコラボでステージへとあがる。きっと、空にいる“恩人”にも向けた特別なパフォーマンスになることだろう。
けんいち(北川賢一)、“元ロードオブメジャー”に対する葛藤からの解放 ミリオンセラー「大切なもの」から20年の現在
2002年、バラエティ番組『ハマラジャ』(テレビ東京)の企画で結成されたロックバンド、ロードオブメジャー。見知らぬ4人のバンドマ…
ブラックビスケッツ「タイミング ~Timing~」カバーがバイラル好調 Klang Rulerによる90年代リバイバルの体現
参照: Spotifyの「バイラルトップ50(日本)」は、最もストリーミング再生された曲をランク付けした「Spotify T…