大森靖子『超自由字架』は予想できない表現の場であり、誰かにとっての深呼吸できる場に 全国ツアーファイナルを迎えて

大森靖子『超自由字架ツアー』ファイナルレポ

 大森靖子の歌とアコギ、sugarbeansのピアノ、山之口理香子のダンスという3つの要素はありながらも、毎公演、構成も選曲も変えて即興的に展開する全国18カ所での『超自由字架ツアー2022』が9月22日、横浜関内ホールでファイナルを迎えた。大森が「私の部屋」と称した場所はライブハウス、音楽堂、ホールと様々だが、個の存在としての3人が大森靖子の音楽を媒介にして、大森自身も予想できない一瞬に反応して繰り出す表現の場所、それが『超自由字架』なのではないかという思いを強くした。

 着席のライブならではのいい緊張感がみなぎる中、白い肌に溶け込むようなくすみピンクのドレスを纏った大森が登場し、観客に背中を向ける形でグランドピアノを弾き始める。ピアノソナタのような曲に同調して動く背中が言葉以上に雄弁だ。そこにsugarbeansが歩み寄るように連弾で参加し、大森はステージセンターに移動し、「ドグマ・マグマ」で“歌”がはじまる。〈ふぁっくALLにするから”戦争“なんでしょ〉というフレーズと、結んだ拳を開いてバラバラにするような仕草に感情がシンクロする。歌い終え「私の部屋にようこそ!」と一言発した後はティーンエイジャーの気持ちが未だ去来する「ミッドナイト清純異性交遊」へ。ファンが振るサイリウムのタイミングは必ずしも同じではなく、全員が持っている訳でもない。一人ひとりの意思表示が心地いい。そして、即興性のあるステージという意図を最も視覚で感じることができたのは山之口理香子の登場の仕方だった。METAMUSEの楽曲、「tiffany tiffany」の2番から現れた彼女にスポットライトが当たる訳でもない。全身を使って歌う大森のアクションに呼応したり、しなかったりしつつ、思うがまま肉体を反応させている、そんな感じなのだ。

 今回のライブはすでに完成しているというニューアルバム『超天獄』からの新曲も随所に盛り込まれていた。この国では翼がボロボロになっても飛ぶ鳥の歌が少ないように思うという語りから新曲「TOBUTORI」を披露。山之口が大森のもとに飛び込んでいこうとするが、地面に転がり落ちるような動きを見せた時、これは偶然なのだろうか? と胸がざわついた。

 エクストリームなまでのダンスパフォーマンスを主軸に置くアーティストといえばSIAが思い出されるが、そこには緻密な計算がある。まして大森は自身も全身でパフォーマンスしている。だが、苦悩や葛藤、そして言葉にできない間の感情を身体表現に落とし込むという意味では遠くない感覚を得た。さらに歌の強弱や感情の揺れ、テンポの自由度という意味で、ピアノ一台の共演は親和性が高い。sugarbeansも自身のエゴをリフの強弱やテンポに反映しているはずだ。

 最初のブロックはアルバムからの新曲「最後のTATTOO」から、大森がアコギを構えることで、弾き語りパートへ。この時、客席も明るくなり、“観客”として見ていた感情が彼女からも見えるようになったことで、若干、緊張感が増す。その中での「音楽を捨てよ、そして音楽へ」の〈音楽は魔法ではない〉から〈でも、音楽は〉に至る、彼女の潔癖なまでの決意は普遍的だ。高いテンションで新曲「天国ランキング」や、バンドバージョンでの疾走感に劣らず生々しく展開する「VOID」などを立て続けに歌っていく。歌とギターで空間を埋め尽くすような熱量に関わらず、彼女の音楽には受け手それぞれが反応できる余白がある。弾き語りパートの途中で、地元の友人のことに触れたMCに続いての「給食当番制反対」から即興、そして「5000年後~stolen worlD」に至る、子供から老婆ぐらいまで変化する声の表現の凄み。人間は一人ひとり異なる生き物なのに、容易く消費されていく命があり、信じた気持ちも搾取される。生きても地獄、死んでも地獄ならば、世界に潰されないように見下すがいいーー大森の歌詞そのままではないが、自分の中で蓋をしている感情が彼女の怒声によって吐き出される思いだ。即興性という意味では根にある弾き語りで強度は最も発揮され、この日のハイライトだった。

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