ELLEGARDEN、なぜ心を揺さぶるロックバンドであり続ける? 移ろう時代の中でも変わらない“悩み戦う姿”

 ELLEGARDENが活動を休止して、まもなく迎えた2010年代。これも一概には言えないけれど、数多くのロックバンドが「フェスに出る」ことを目標に掲げるようになり、さらに「ライブハウスでも、ホールでも、アリーナでもライブができるようになる」という柔軟なスタンスで活動することも増え、ライブハウスだけにこだわるロックバンドは以前よりは明らかに減った。さらに、一部のフェスは国民的レジャーと言えるほどにメジャー化し、それに伴って親しみやすいロックバンドが増え、ライブハウスも敷居が低くなってきたと思う(もちろん、いまだにドキドキするロックバンドはいるし、緊張するライブハウスもあるけれど)。

 この変化を良い/悪いで判断するつもりはないし、2010年代以降に飛躍した人たちにも、人間臭いロックバンドや、深層心理を描けるアーティストはいて、深く共鳴することはある。でも、時代そのものが便利でスマートになったからなのか、かっこいいロックバンドは増えたけれど、戦う姿や悩む姿をさらけ出して、不器用なほどに我が道を行くロックバンドは少なくなったと思う。では今、教室や世間に居心地の悪さを感じている人たちは、何を拠りどころにしているのだろうか。時代は変われど、同じような人は絶対にいるはずだ。

ジターバグ [ MUSIC VIDEO Live ver ]

 新たに出現した広義のネット発ミュージックが、ベッドルームでたくさんの人を支えたこと。オーバーグラウンドに躍り出たヒップホップが、たくさんの人を鼓舞したこと。そういった音楽シーンの変遷もわかってはいるけれど、それでも楽器を持ち寄って爆音で鳴らすロックバンドの、その手間や歪さ、危うさを乗り越えてマジックを起こすスタイルにこそ、自分自身を投影できる人もいる。そういう人たちが、活動休止以降もELLEGARDENを拠りどころにしてきたのではないだろうか。さらに復活してから、自分が拠りどころとしてきた楽曲たちが年を重ねて説得力を増していく様子に、改めて支えられているのではないだろうか。

 もしかしたら、それぐらい思い入れの深い人たちはELLEGARDENの新曲を聴くのが怖かったかもしれない。少なくとも筆者は、何も変わっていなかったらつまらないけれど、何もかも変わっていたらどうしよう、という我儘な期待と不安が綯い交ぜの心境だった。

 しかし、「Mountain Top」から聴こえてきたのは、紛れもないELLEGARDENそのものだった。あの頃よりも年齢や経験を重ねたし、技術だって進化したし、環境だってメジャーになって、レコーディングもアメリカで行ったのに、彼らはやっぱり悩んでいるし、戦っている。いくつになっても居心地の悪さを抱えている彼らの世代に近い大人から、今まさに行き場のない葛藤を抱えている若者にまで、きっと寄り添ってくれると信じられる楽曲だった。しかも年齢や経験や環境が落とし込まれたことによる変化はありつつ、“今の自分たちのありのままをさらけ出す嘘のなさ”は変わらない。こういったロックバンド、こういった音楽はどんどん貴重になっていて、だからこそ求められ続けているのだ。改めてそう思った。

 まだアルバムは制作半ばであり、現在進行形のELLEGARDENの全貌が現れるのは、そのすべてが聴ける時になるだろう。でも「Mountain Top」が指し示しているのは、きっと光であり、ずっとELLEGARDENを聴いていた人は、それぞれの道においても一歩を踏み出す力が得られるはずだ。そして新しい光によって、この大切な居場所に気づける人がいますように。

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