CHAGE&ASKA「SAY YES」が『101回目のプロポーズ』に与えた“重み” みんなが聴いた平成ヒット曲第4回
大江千里「格好悪いふられ方」も大ヒット
1980年代後半から1990年代初期まで、トレンディドラマはバブル社会のシンボル的なカルチャーだった。
トレンディドラマに登場する若者たちは、華やかな生活を送り、身近な人たちや突然目の前に現れた人物との恋愛に没頭した。生活や将来への不安はそこに感じられなかった。とは言っても1991年は、そういった状況を生んだ好景気に陰りが見え始めていた。バブル崩壊の始まりの年なのだ。同年5月にジュリアナ東京がオープンするなどし、現実の若者たちはナイトライフのアバンチュールをたのしんだが、それは最後の祭りのようでもあった。
『101回目のプロポーズ』が放送された同年7月から9月のドラマ枠では、大江千里の「格好悪いふられ方」を主題歌とする『結婚したい男たち』もオンエアされていた。こちらもトレンディドラマの王道とは違い、結婚適齢期の男女が本当の愛を手に入れていく物語だった。
一方で、バブル期に一世を風靡したクリエイターチーム、ホイチョイ・プロダクションズによる映画『波の数だけ抱きしめて』が8月に公開されたが、これは「ホイチョイ三部作映画」のラストとなった。トレンディドラマブームの終えんをあらわす出来事のひとつである。
ドラマ主題歌が大ヒットする時代
1991年8月には、東京で『世界陸上』が開催された。男子100メートル競争では、世界的なスーパースター、カール・ルイスが当時の世界記録を塗り替えた(9秒86)。ゴール後、ルイスが実況席前をウイニングランしているとき、テレビ中継のリポーターをつとめていた元プロ野球選手・長嶋茂雄氏が「ヘイ、カ~~~ル!」と絶叫していた姿は、スポーツ番組の珍場面として何度も放送された。一方で、バブル崩壊の兆しが見えていたこともあり、記念すべき日本初開催の『世界陸上』の高額チケットは売れ行きが良くなかったという。
1991年はカルチャーや物事への価値観が変容していった時期だったと言える。「その瞬間が楽しければOK」「お金さえ出せば楽しいものが手に入る」ではなく、誰もが先行きをちょっとずつ気にし始めた。そういったムードが『101回目のプロポーズ』や『結婚したい男たち』のような、生涯を添い遂げる相手の存在について考えさせるドラマが増えた要因ではないだろうか。
「SAY YES」の冒頭の〈余計な物など無いよね すべてが君と僕との愛の構えさ〉や、サビの〈愛には愛で感じ合おうよ〉も、経済状況が落ち込みはじめた時代のなかで、あらためて愛に向き合う必要を訴えかけているように感じられる。中盤の歌詞〈言葉は心を越えない〉はまさにその通りで、トレンディドラマなどで見られる格好良い台詞ではなく、『101回目のプロポーズ』の達郎のような泥臭くてもまっすぐな想いこそが、この先の人生では大切なのであるというとらえ方ができる。
「SAY YES」は、CDの累計売上が約282万枚。CHAGE&ASKAにビッグヒットをもたらした。当時は「ドラマ主題歌は大ヒットする」という法則があり、まさにそれに則った形だ。ここまで記述したドラマのメッセージ性も含めて、時代的にもテレビに大きな影響力があったと言える。そういった時代背景も含めて、「SAY YES」は平成のヒットソングの代表的な作品ではないだろうか。
※1:オリコン週間シングルランキング1991年8月5日付