玉屋2060%(Wienners)、バンドマンとしてのアイドルソングとの関わり方 でんぱ組.incら楽曲提供を通して得たもの
でんぱ組.incの代表曲の一つで、いまでも多くのアイドルファンに愛される楽曲「でんでんぱっしょん」を提供したロックバンドWiennersの玉屋2060%。玉屋の手がける楽曲に共通するのは、底無しに明るい楽曲と言葉数が詰め込まれたインパクトある歌詞。その作風はアイドルシーンでも常に注目を集めている。そんな玉屋が初めてアイドルに楽曲提供をしたのは今から10年前にリリースされた、でんぱ組.incの「でんぱれーどJAPAN」。以降、でんぱ組.incとWiennersの対バンライブ、その他のアイドルへの楽曲提供などを通して、「アイドルとバンド」という組み合わせの面白さを示してきた存在とも言える。自らもバンドのフロントマンとしてステージに立ち歌を歌う玉屋にとって、アイドルとその楽曲はどのように見えているのか。でんぱ組.incへの楽曲提供のきっかけ、アイドル楽曲の制作の中で得たことなどじっくり話を聞いた。(編集部)
「これはとんでもないことを引き受けてるかもしれない」と思った
――玉屋2060%さんが初めてアイドルに楽曲提供をした曲「でんぱれーどJAPAN」(でんぱ組.inc)のリリースから10年が経ちました。当時のことを振り返ってみていかがですか?
玉屋2060%(以下、玉屋):もう10年か、みたいな気持ちですね。当時は、Wiennersもでんぱ組.incと同じ<トイズファクトリー>に所属はしていたんですけど、ローカルなパンクバンドみたいな活動をしていたので、アイドルとは本当に無縁で。メジャーのレコード会社にいたにもかかわらず、オーバーグラウンドというものがどうなっているかも分からない状態だったんです。たまたま会社でえいたそ(成瀬瑛美)とかを見かけて、すごい元気な子がいるなあとか、存在を認知していた程度だったんですけど、プロデューサーの山岸(直人)さんともふくちゃん(福嶋麻衣子)がWiennersを面白がってくれて、曲を作らないかと言ってくれたので、最初は本当に友達の女の子に曲を書くくらいのテンションでした。そのくらいなにも分かってなかった。まず人に曲を作る仕事をするということも考えてもみなかったことなので、「なんか面白そうだな」と思ってやったのが始まりでしたね。
――でも、そこから継続的に関わっていくことになると。
玉屋:はい。そのあと「でんでんぱっしょん」を作ったんですけど、その当時は僕はSNSを一切やっていなかったし、パソコンも「でんぱれーどJAPAN」を作るために買ったんですよ。「でんぱれーどJAPAN」はGarageBandで作ってるんですけど……今思うと本当に震えが止まらないですよね。だから「でんでんぱっしょん」くらいまでは、世間がどういう反応で、でんぱ組.incがどういう風になっていっているのかもあんまり分かってなかったんです。でも、その次に「サクラあっぱれーしょん」を作るときに、でんぱ組.incの初めての武道館の前の大事なシングルだと伝えられて。そこで初めてことの重大さに気付いて、「これはとんでもないことを引き受けてるかもしれない」と思いましたね。それまでアイドルの楽曲も全く聴いていなかったので、そこからいろいろ聴いてみて、勉強して。前山田健一さんとかの曲も聴いたんですけど、やっぱりクオリティ的に、パソコン買いたての奴がGarageBandで打ち込んでいるものとはレベルが違うじゃないですか。そこで超悩んだんです。全然クオリティが上がらない自分に対してもむかつくし、なんで素人みたいな俺に頼むんだろうと思って(苦笑)。なので、バンドのツアーをまわる車の中で、自分よりもアイドルに詳しかったうち(Wienners)のベースの∴560∵に「なんで俺なんだろう」みたいなことを言ったら、「クオリティを求めるんだったらプロの職業作家に頼んでる」「あなたのその人懐っこいメロディに惹かれているんだと思うから、クオリティとかじゃない。自分の強さを思いっきり発揮すればいいじゃん」って言われて。それで思いっきり作れて「サクラあっぱれーしょん」ができたので、本当にあの曲は転機でしたね。クオリティはもちろんそこから上げていきたいなとは思っていましたけど、元々職業作家になるつもりもないし、まずはバンドマンなので、自分の曲が好きだと言ってくださる方がいたらそこは全力で取り組ませていただこうっていう考えになれました。
――最初は手探りの状態だったんですね。そこから提供先は、でんぱ組.inc以外のアイドルにも広がっていきます。
玉屋:感覚としては広がっていったというより、本当にラッキーだと思いましたね。でんぱ組.incが見つけてくれて、でんぱ組.incが人気になったときにたまたま僕が作っていただけで。運がよかったなっていう。
――始まりは運だったと。
玉屋:僕はそう思ってますね。運があって縁があった。あとすごく思うのは、いわゆる電波ソングと言われるものを僕は全く知らなかったし、正直今も、他の電波ソングって言われるものは知らないんです。いわゆる電波ソングは情報量が多くて、早口でぎゅっと詰め込まれているような曲じゃないですか。そういう感じの音楽を全く別のベクトルで僕はやっていた。というのも、ハードコアパンクとかのシーンで西荻系と言われるシーンがあったんですけど、僕は銀杏BOYZにいたチン中村くんが昔やっていたSNOTTYっていうバンドとかが好きで、Wiennersでは当時そういう音楽をやっていたんですよ。それがたまたま、世間から見たら似ていたんですよね。出どころが全く違うものが事故ったみたいな感じで世間に受け止められた。そういう世間の流れとかも運のうちに入ってたなと思います。西荻系としてやっていてもアンダーグラウンドなもののままだったけど、それを電波ソングみたいな感じでアイドルソングとして世間が捉えたことで、すごくキャッチーに受け止められるようになっていったというか。
――アンダーグラウンドな西荻系のシーンが、アイドルを通して全く違うジャンルとして発見されることに抵抗はなかったですか?
玉屋:それこそ初めの方は本当になにも考えてなかったので(笑)。ただ、僕もアンダーグラウンドな音楽をやっていましたけど、それがマイノリティな音楽だってことすら分かってなかったんですよ。みんながこれを聴いてると思ってたくらい狭い世界だったので、抵抗は全くなかったですね。バンド仲間とかライブハウスの知り合いとかも、「アイドルに曲作ったんでしょ、いいじゃん」みたいな感じで普通に盛り上がってました。
アイドルに気持ちよく歌ってもらうからこそ、その先にいるお客さんに伝わる
――楽曲提供を通して全然違うシーンを目の当たりにしたと思うんですが、提供ならではの面白さや発見はありますか?
玉屋:めちゃくちゃあります。自分が歌うとなると恥ずかしくてできない超ベタなメロディとか進行、構成をやってみたら、意外と自分でやってもいいかもってバンドに還元されていったりとか。あとベタだなって思って作ったものが、世間ではベタじゃないんだとか。どれだけ自分が世間と乖離してたかっていうのを、毎回まざまざと見せつけられましたね。
――Wiennersとして楽曲を作るのと、アイドルに提供するものとして作るのとでは作曲の考え方も変わると思いますが、その点はいかがですか?
玉屋:それこそちゃんと仕事として作曲をするようになると、責任があることなのでしっかりとしたものを届けないといけないと思って、音楽理論の勉強をしたりはしました。あと、せっかくやるんだったら大事にしてもらえる曲を作りたいなって思うようになってきたんです。アイドルって良くも悪くも曲を選べないじゃないですか。自分は自分で曲を作って歌うことができるけど、アイドルはそうじゃない。そこで少しでも気持ちよく歌ってもらえるように、自分の気持ちが乗っかるような歌詞やメロディを作る。まずアイドルに喜んでもらって気持ちよく歌ってもらうからこそ、その先にいるお客さんに伝わるんじゃないかとすごく考えるようになりましたね。なのでできるだけメンバーと喋ったり、ライブを観たり全部のインタビューを読むとか、本人の言葉の中から歌詞を拾っていくみたいなことをしています。あとは、自分もメンバーになっちゃうっていうのもめちゃくちゃ大事にしています。自分がメンバーだったらどんなことを歌うかなとか、どんなことを考えるかな、と想像して。仮歌を入れるときも無意識ですけど、完全にメンバーになったつもりで歌っているし。やっぱり元々はバンドなので、どうしても内側に入らないと曲が作れないんですよ。外側から見て作れるほど器用じゃない。格好いい言い方をすると、全力投球しかできないんです。
――今、本人の言葉から歌詞を拾っていくというお話がありましたが、どのような拾い方をするんですか?
玉屋:インタビューを読んだり直接お話をする中で、なにが目標なのかとか、どういう言葉選びがその子にはまるのかとかを考えますね。例えばひとつ目標があったとして、それに向かって頑張っていこうみたいな曲を作るにしても、その言葉選びのアプローチってたくさんあると思うんですよ。例えば、「今はまだこんなに弱い私だけど頑張ろう」って思う人もいれば、「夢はでっかく!」みたいなキャラの子もいたりとか。自信がない子、自信がある子。夢をお客さんに届けるためにやってる子、自分が夢を掴みたいからやってる子。ひとつのテーマにしてもそれぞれの考え方があって、そこが合致しないと自分の言葉として歌えないと思うので、そのテーマをどう見ているのかと、その子の性格やキャラクターは見ながら作ってますね。例えば、神宿のメンバーと初めてお話したとき、みんなめちゃくちゃ真面目だなって思ったんです。せっかく自分が曲を作るなら、その真面目さをちょっと突破したいと思って。だからこそ、「お控えなすって神宿でござる」っていうコミカルな曲を作ったんです。でもサビの歌詞とかは、インタビューで彼女たちが発した言葉でできている。〈皆でご飯食べればおいしいな〉っていう歌詞があるんですけど、それも「メンバーとご飯食べてるときが美味しいんですよね」とインタビューで話していたことをそのまま取り入れたんですよね。神宿にとって今までにないくらいコミカルな曲だったので、言葉まで自分たちとかけ離れてしまったら気持ちが入らないと思ったんです。なので言葉だけは彼女たちが自然と歌える、自分の中にあるものを乗せようと思って作りました。
――そのときのメンバーの反応はいかがでした?
玉屋:メンバーはすごく喜んでくれました。めちゃめちゃ嬉しかったですね。やってよかったと思いました。