Ado×てにをは、二篇のラブソングで表現した愛の真理 「ギラギラ」と「永遠のあくる日」の物語を考察
今年3月14日のホワイトデー、てにをはが手がけたAdoの新曲「永遠のあくる日」が公開された。「永遠のあくる日」は、使い古された愛の言葉を使うことをためらいつつ、それでも溢れる想いを「あいしてる」というフレーズに乗せて25回も繰り返す、これ以上ないほどにストレートなラブソング。眼前に柔らかな光が広がるような、清らかでドラマチックなワルツだ。だが、「永遠のあくる日」のメッセージをより深く理解するには、この曲と一連の物語となる「ギラギラ」を改めて読み解く必要がある。
歌をAdo、楽曲をてにをは、イラストを沼田ゾンビ!?の布陣で制作し、2021年2月14日のバレンタインデーに公開された「ギラギラ」。MVが1億回再生を突破した、Adoの代表曲の一つであるこの曲は、自分の醜さや欠点を嫌い、誰からも愛されないことへの苦しみを歌った楽曲だ。〈私の顔は/そう神様が左手で描いたみたい〉というフレーズが特に印象的で、MVの主人公である通称「ギラギラちゃん」は顔に大きな痣を持つ。
落ち着いた曲調で、Adoの歌唱も全体的にしっとりとしたものになっているが、その中でも〈メラメラ火を噴いて〉で一気にボルテージが上がり、〈今に見てろ〉などの尖ったフレーズを際立てる声の迫力が、ギラギラちゃんの内に秘めた激しさを表現しているかのようだ。
〈もしも神様が左利きならどんなに幸せかしれない〉と、自分を受け入れてくれる世界を望みながらも、ギラギラちゃんは最終的には憎しみを〈孤独はガソリン〉、〈愛されないくらいなんだ〉と逆にエネルギーに変え、世界に宣戦布告するように“ギラついて“生きていくことを決意する。