ビリー・ジョエル、絶対に押さえておくべき5曲 恋愛など人間味溢れるエピソードと共に紹介
ビリー・ジョエルがデビュー50周年を記念して『ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-』と題したベストアルバムをリリース。これまでに日本でリリースされた全シングル曲(12cmマキシシングルを除く)と全ミュージックビデオを網羅した、CD2枚とDVDからなる決定版的作品だ。もちろんコレクターやコアファンが大喜びするベスト盤であるわけだが、ビリーの楽曲というのは、いい意味でリスナーを選ばない。誰もが聴けば一発で分かる美しいメロディ、繰り返し聴きたくなる歌詞や歌声。日本でも多くのヒットを放ち愛されてきた彼だが、ここでは絶対に押さえておきたい5曲をピックアップ。その制作秘話や裏話には人間味溢れるエピソードが多く、それらを知ることで、より一層ビリーの楽曲を楽しめるのではないだろうか。
「ピアノ・マン」(1973年:アルバム『ピアノ・マン』より)
ビリー・ジョエルといえばニューヨーク。ニューヨークといえばビリー・ジョエル。というほどニューヨークのイメージが強く、ニューヨーカーから愛されてきたビリー。とはいえ実は、苦節時代にはロサンゼルスに移住していた時期もある。ソロ1stアルバム『コールド・スプリング・ハーバー 〜ピアノの詩人』を発表したものの鳴かず飛ばずで、レコード会社も本腰を入れようとせず、何よりアルバムそのものを本人が気に入っていなかったこともあり(歌のピッチが速いまま商品化されていたという)、一旦生まれ育ったニューヨークを離れると決心。西海岸へと逃避している。ビル・マーティンと名乗ってロサンゼルスのラウンジバーでピアノの弾き語りをして暮らしを支えていたというから、相当の苦労人だ。ピアノマンとして演奏しながら、様々な人間模様を見てきた当時の経験が、この曲「ピアノ・マン」へと繋がっている。ビリーにとっては最初のヒット曲でもあり、ターニングポイントとなった重要曲だ。
「素顔のままで」(1977年:アルバム『ストレンジャー』より)
恋多き人として知られるビリー。これまでに3度の離婚と4度の結婚を重ねている。当然ながら恋愛はシンガーソングライターにとって大きなインスピレーションの源であり、自身の恋愛体験を綴った曲は少なくない。グラミー受賞曲「素顔のままで」は、下積み時代から彼を支えてくれた最初の妻エリザベス・ウェーバーに贈られたラブソング。だが、マネージャーでもあった彼女は、その曲を聴かされたとき「私も版権をもらえるの?」と尋ねたと言われるほど金の亡者だったとされている。離婚後しばらくはライブで演奏されることもなく、彼にとっては苦々しい想い出の曲でもあるのだろう。
「オネスティ」(1978年:アルバム『ニューヨーク52番街』より)
ときにストレートすぎると揶揄されることもあるビリーの歌詞だが、そのシンプルな英語と言い回しは、日本人にもとても分かりやすい。ネッスルなどのCMソングとして人気を博した「オネスティ」など、正にその典型だろう。しかし真実の愛の素晴らしさを説いた曲かと思えば、実際にはその真逆で「真実の愛はどこにある?」と問いかける悲しいラブソング。そういったアイロニーに溢れているのもビリーの歌詞の特長だ。最初の妻エリザベスから離婚に関する慰謝料をガッポリ取られ、彼女の兄からも長年にわたって資産を横領され、さらに身内からも騙されることが多かったビリー。真実の愛=「オネスティ」を追い求める彼は、根っからのお人好しなのだ。